●19日(前編)
朝の練功。今回の大会では拳術は長護心意門拳、兵器は春秋大刀と二部門でのエントリーなので、長護心意門拳の後に大刀の検査を受ける。
大刀、正確に言うと凌斗師太爺から伝わる大刀よりも刃幅の狭い「偃月刀」は、当門の中でも重要な位置を占める兵器だ。套路としては全八節あり、重複動作を含めそこそこの長さとなる。
大刀に関しても日本ではそれなりに日頃から継続して練ってはいるものの、師父より専門に教えを受けるのは6~8年振りだろうか。刃筋や身法と刀の協調など、細かい部分を入れると結構な量の指点を受けた。お陰で今まで何となく練っていた部分が明確になり、一段階バージョンアップされた感じがする。
そして昼。鄭州から師父にお客様が来られる。陳軍山師伯、私が朝に使っていたあの偃月刀を造ったその人だ。
陳軍山師伯 は今年78歳。1971年に少林寺を訪れた時に王宗仁師父のお父上と知り合い、その時「私の息子の王宗仁は武術ができる」と聞き、その後1978年に河南省伝統武術比賽で師父と会い拳を見たのを機に意気投合しそれから友誼を結ぶ事になった。師父の次男である王鵬挙の名前は陳軍山師伯が付け、また師伯の息子・陳鵬飛は師父が名付けた、そういった深い関係である。
師父の所にある偃月刀、これは陳軍山師伯が80年代に鄭州で造ったものだ。当時、師伯は工場で働いており南方より取り寄せた良質のステンレス材が手に入ったのでそれを使ってこの刀を造った。因みにこの刀の柄は元々2つに別れていたのを1本に溶接して繋いだ跡があるのだが、これについては「当時この鋼材はなかなか手に入らない貴重なものであったため工場で自由に加工する事が出来ず、2つに分断して 家に持ち帰り造った」という話を伺った。
私は師父より大刀を教わってから以来、いつもこの刀を気に入って使っており「80年代に鄭州の知り合いが造った」という話も早くから聞いていた。陳軍山師伯とお会いしたのは今回が初めてなのだが不思議と親近感を覚えたのは、そういった原因があるからだろう。また今回、師伯の息子の陳鵬飛も一緒に来ており、聞けば私と同い年、しかも90年代に師父が少林寺村で開いていた武館で教練をしていた事もあると言うので、私もその時会っていたかも知れない。人は初めてだが縁は深い。一振りの偃月刀を通しての今回の出会いを今後も大切にしたいと思う。