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![]() 学武的四個多
武術を学ぶ上で重要な四つの要素があり、これを「学武的四個多(四多)」と言います。四多とは「多看、多想、多練、多問」の事です。 ◎多看 「多看」とは「よく見る」と言うことです。練習の際にはまず師の動きをよく観察することが大変重要です。師はもちろん言葉でも解説をしてくれますが、言葉で伝わるのは全体の半分もしくはそれ以下の内容です。それ以外の部分(本当は最も大切な部分かも知れません)は自分で見て、確かめるしかありません。 師の動作(特に学生と一緒に打っているときの動作)はそれ自体が教科書でありお手本です。練習中に自分の套路ばかり打って周りを見ない人は往々にして、誰かが指摘するまで自分の動作の間違いに気が付きません。本当は言われなくても師の動作をよく見て自分のものと重ね合わせてみれば、どこが間違っているか自ずと気が付くはずです。 師以外にも、同門の仲間からも学ぶことは多くあります。自分と同じくらいの水準にある人の動作を見れば、自分の問題点もよく明らかになります。そしてよいところがあれば積極的に採り入れましょう。後輩の動作は自分がこれまで通ってきた道のりです。少し先をいっている先輩の動作を見れば、自分がこれから目指すべき様々な形が示されているはずです。 ◎多想 「多想」とは「よく考える」という意味です。練習の時、そして普段の練習をしていない時でも、自分でよく考える事が大切です。 教わったことをそのまま練習しても、なかなかうまくいかない事があります。それは教わった「かたち」をただ真似しているだけで、自分の「工夫」がないからです。練習会に参加しているときには練習の内容は師が決めてくれますが、自分で行う練習の内容は自分で考えなければなりません。ましてや仕事や学業に忙しい毎日を送っている現代日本の練習者は、よくよく考えて毎回もしくは期間を定めてテーマを決め、効率よく練習できるように工夫する事が必要です。 また、何も考えずに誤った練習方法を続けていれば、向上どころか動きに問題のある「くせ」がつき、悪くすると身体を壊す原因ともなるので注意が必要です。普段教わっていることをよく思い出し、その道理を考えて、今自分が練習している動作が正しいかどうかよく検討してみましょう。 ◎多練 「多練」とは「よく練習する」ことです。いくらよく見て、よく考える事を心掛けていても、それを実践しなければ実質的な進歩は望めません。 週に一度の練習会に参加していれば自然に功(実力)がつくかというと、それは無理です。練習会は「教わった内容の確認と指点。プラスαで新しい内容を教わる」場であり、功はやはり自分自身の練習によって積み上げていかなければなりません。 師に教わって、その場では解らなかった事でも、自分で何度も練習している内に理解できたりするものです。十遍打って解らなくても、百遍、千遍と繰り返してやっと理解に到達できることもあります。ですから練習は退屈で苦しくても同じ事を何度も繰り返す事、これが功を練るという事です。 武術の練習は方法さえ正しければ、すればしただけの力がつきます。またこればかりは誰かに代わりにやって貰うという訳にもいきません。武術の成果は俗に「一分師(の教え)、九分学生(の練習、努力)」であると言われてるように、練習こそがただ、上達へ通じる一番の近道なのです。 ◎多問 「多問」は「よく訊く」という事です。よく練習していれば自ずと様々な疑問点が出てきます。逆に、常に何の疑問も出てこないという事は、よく考えていないか、練習していないかと、いう事になってしまいます。 解らないことを質問するというのはとても大切なことです。ただし、一から十まで何でもかんでも訊けばよいい、というものでもありません。やはりまずは自分でよく考え、実際に何度も練習してみる事が必須です。質問するのはその後でも遅くはありません。そうこうしている内に自分で解ってしまうこともあり、そうしたら師に「確認」してみればよい訳です。 また、質問をすることで思わぬ収穫が得られるという事もあります。毎回の限りある練習時間で、師が示す動作や言葉はそれで全てという訳ではありません。ひとつの事を教わって、そこで終わってしまえばそれまでですが、ひとつ質問をすることでそこから更に深い内容や変化を師から引き出せるというのもよくある事です。ある意味、これも一つの「教わる為の技術」と言えるのではないでしょうか。 以上、順番に解説してきましたが、これらは全て練習者が自分自身で行わなければならない事です。 師が学生を教えるのは、言ってみれば親鳥が雛に食物を与えているのと同じです。親から食べ物を貰ってばかりで自分で狩りを覚えない雛は自然界で生きてゆけず、いずれ死んでしまいます。武術を学ぶのもこれに似て、師の言うことだけ聞いて自ら求めて学ばない人は、いつまでたってもなかなか上達しません。 しかし逆に、自ら求めて「見て、考えて、練って、問う」人には、武術は必ずや上達への道を開いてくれるはずです。一見して価値のなさそうな石塊を、何度も火を加えて精錬して、純度の高い宝のような精鉄に変えるのは他ならぬ自分自身なのです。 王宗仁師父も日々の努力を次のように語っておられました。 曰く:「一日練一日功。一日不練十日空。天長日久武藝精」 |
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