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当門の歴史


・第一代・凌斗

 当門の歴史は、清末から民国にかけて活躍した著名拳師の凌斗祖師爺から始まる。凌斗祖師爺は登封県唐庄郷凌家門の人。結婚して後、妻の生家である磨溝村に移り住んだ(磨溝村は凌家門から山一つ越えた場所)。磨溝は古くより「教師窝」と呼ばれ、また「東不截磨溝、西不截阮村(東は磨溝、西は阮村、これら二村は匪賊刀客も避けて通る)」と謳われた武術村である。凌斗祖師爺は磨溝で岳父(妻の父)の范朝元に就いて武術を学び、同時に義弟(妻の弟)であり、当時の磨溝を代表する拳師であった范大田とは常に切磋琢磨し功夫を高めた。

 理由は定かではないが、凌斗祖師爺は功成った後も磨溝では武術を教える事をしていなかったようである。 磨溝や范大田に対する考慮もあったのかも知れない。 その代わり、凌斗祖師爺は磨溝拳の基礎の上に、自ら多くの練功や切磋琢磨によって得た精華を加味し、そのひとつは少林寺村に、そしてもうひとつは凌斗祖師爺の老家(故郷)である凌家門に伝えた。 少林寺村で教場を開いていた年代は未調査であるが、教えを受けた人物としては王頂一師爺の他、劉豊臣、張遂雲、劉套、張拴等の各先達がいる。 一方、凌斗祖師爺は晩年凌家門に帰ったので、凌家門の系統はこれ以降に伝えられたものであると推測できる。

凌斗祖師爺老家 凌斗祖師爺老家
凌斗祖師爺の老家と、練功を行ったといわれる中庭


・第二代・王頂一

 当門第二代の王頂一師爺は1908年、少林寺対面より東に1キロほど行った 少室山の麓に位置する南沼溝の出身である。凌斗祖師爺を師と拝して練功に励み、ついにはその全伝を得た。 一般に凌斗祖師爺は少林寺村で教場を開いていたが、王頂一師爺は農繁期などには度々磨溝に赴き、師の仕事を手伝い、時には武術も学んだという。 或いはその時に、磨溝の拳師とも交流があったかも知れない(現在の磨溝でも「少林寺南沼溝の王頂一」と言えばその名を知る老人は少なくない)。

 当時王頂一師爺の武名は少林寺一帯でも有名で、しばしば外地にも招かれて教学を行った。ある時は、土地を巡って隣村と争いを続けている河北省の某村に 請われて赴き、村の若者達に眉斉棍及び長護心意門拳等を学ばせ訓練を行ったりもしたそうである(結局、少林寺から拳師を招いて訓練を行っているという事を知った隣村が和議を申し入れ、実際の戦闘には到らなかったとの事)。 また王頂一師爺は広く武林の朋友等と交わり、中でも山東梅花門の賈龍生先師とは友誼が深く、 賈龍生先師は次男の賈其岩師伯に命じて少林拳術を学ばせ、王頂一師爺は甥の王宗仁師父に命じて賈龍生先師の槍と擒拿を学ばせたという話は、 当時武林の美談として知られる所であった。

王頂一師爺 賞状
王頂一師爺肖像(左) 1963年の河南省武術表演賽での優秀賞(右)


・第三代・王宗仁

 第三代となる王宗仁師父は王頂一師爺の甥である。1957年に登封県少林寺南沼溝村に生まれた。先に父の王朝鮮公について 基礎を学び、後に伯父の王頂一師爺に就いて凌斗祖師爺の伝を学び大きく進歩した。王頂一師爺亡き後は賈龍生先師を第二の師と拝し、 槍及び擒拿を学んだ他、登封拳師の呂学礼はじめ劉存良、呉風高等の老拳師より積極的に学び、伝統的な拳術や兵器などの指導を受けた。

 王宗仁師父が現在登封の伝統拳師の中で最も年若く、かつ全ての動作を実際に正しく打てるのには一つの原因がある。王宗仁師父は十歳に満たない頃より王頂一師爺に就いて武術を学び、その教授は1976年に師爺が帰西される(亡くなる事)まで続いた。王頂一師爺は享年68歳、王宗仁師父は当時19歳、その年齢差は実に49歳である。 通常は間にもう一世代挟む所を一代飛ばした形で師事した為、王宗仁師父は実際の年齢よりも一代上の功夫を学ぶ事が出来たのである。

王宗仁師父 呂学礼拳師 王宗仁師父
少林寺門前にて(左) 呂学礼老拳師と(中) 磨溝にて范福中老拳師と(右)


当門の系譜

挪挪爺(少林寺僧緊那羅)

登封磨溝范氏

范朝元(登封磨溝人)

凌斗(登封凌家門人)

王頂一(登封少林寺村人)

王宗仁(登封少林寺村人)