●24日
朝起きて練功し、師父・師娘と朝食を摂った後、少林寺山北(達磨洞北側)に位置する鞏義に柴志偉老師を訪ねに行った。柴老師とは2019年にお会いした後、疫禍でずっと行けなかったので4年ぶりだ。
心意長拳を柴老師より学ぶ。これは今回の重要な任務のひとつであった。
当門祖師の凌斗(1872~1954)は磨溝村で岳父の范朝元より拳を学んだ後、独自の創意工夫を加え長護心意門拳を編んだ。現時点ではまだ私個人の仮定であるのだが、凌斗が磨溝の拳を長護心意門拳へと昇華させる過程で少林寺院内、時代から見て貞緒(1893~1955年)もしくは呉山林(1875~1970)の系統と交流を持っており、その中で心意拳・心意把のエッセンスを取り込んだのではないかと見ている。
柴志偉老師の心意長拳はお父上である柴宗漢前輩より教わったものであり、柴宗漢前輩はそれを舅(柴宗漢老師の御母堂は貞緒の姉という関係)の貞緒より伝えられている。 2018年に初めて心意長拳を見た時、直感的に当門の長護心意門拳と似ていると思った。心意長拳を学べば貞緒と凌斗の繋がりが見えてくるかも知れないという期待がそこにはあった。
かくして柴志偉老師に就いて心意長拳の学習が始まる。昼食から合流していた兄上の柴志乾老師も「午後は仕事に行くのはやめた」と言って、教授に加わってくださった。 柴志偉老師が動作を示し、柴志乾老師が細かな手直しをする。そんな感じで夕方までぶっ通しで教わり、どうにかこうにか「中(河南方言。「好」=「よし」の意味)」を頂けるまでには辿り着く事が出来た。お二人の熱心なご教授には本当に感謝しかない。
実際に心意長拳を自分で打ってみて。当初この拳を少林寺院内系統のもの見て、長護心意門拳との共通点を探っていたのだが、学ぶほどに心意長拳自体が実は一般的な少林寺の拳とは異なる要素を持った拳なのではないかという思いが出てきた。
心意長拳を練っていると、歩と打の一致を強く感じる。対して少林寺院内の一般的な拳は歩と打のタイミングに僅かなが時間差が有り、それはもちろん意味がある事であり同時にひとつの特徴・風格となっているが、心意長拳の節奏(リズム・タイミング)は純粋な少林寺院内系統のそれとはやや異なる。
心意長拳を伝えた貞緒大和尚は民国期を代表する少林寺の名僧であるが、出身はここ鞏県(鞏義市の当時の行政区分)であり、当地にある龍興寺という少林寺下院で純智和尚を拝して出家をしている。この龍興寺一帯には心意拳という、所謂少林寺院内にあったとされるものとは別の、心意六合拳にも形意拳にも近しい(しかし完全に一致はしない) 独特の門派が伝わっており、私は98年頃に現地の拳師である李興力老師によりその一部に触れさせて頂いた事がある。もしかすると貞緒の心意長拳はここ鞏義に伝わる心意拳の影響を含む、ローカルな少林拳のひとつであったのかも知れないと思った。
結論から言うと、心意長拳と長護心意門拳はやはり似ている。更に言えば長護心意門拳の祖先である磨溝の拳にも似ている事が今回解った。先に述べた「歩と打」は別として、動作の組み合わせ・セオリーが似ている。心意長拳の動作単体は少林寺院内系統に広く見られるものであるが、動作間の繋がりの規則は長護心意門拳・磨溝拳独自のそれとよく共通する。
こうなると調査しなければならない範囲がまた広がって来る。凌斗の長護心意門拳および磨溝の拳、少林寺院内系統、貞緒の心意長拳および鞏義当地の心意拳。今回確定には至らなかったが、心意長拳の学習とそれ以外の交流に於いても、これらの繋がりを示す証拠になるかも知れない幾つかの「鍵」を見つける事が出来た。しかし楽しみは無限に広がっていくが、その為の時間と資金が有限なのが悩ましい所だ。
それはさておき、心意長拳。当初は長護心意門拳との関連性を探る研究を主眼として学び始めたものであるが、やればやるほど拳自体の面白さ、奥深さに引き込まれ好きになっていった。帰国後も柴志偉・柴志乾の両老師に動画や質問を送ったりして、探求を続けている。純粋にひとつの拳として、自分の功夫の進歩にとって必要なものとして、楽しんで練り続けいきたいと思う。