●26日
登封での最終日。午前中は買い物や荷物の整理などをして、昼食後は王宗仁師父に鍼灸治療をした。ここしばらく大会などで忙しく疲れが溜まったご様子だったので、せめてもの親孝行だ。
夕方前に登封での最後の活動。余った時間で登封南東にある大金店鎮の老街(旧い町並み)を見に行った。
前回の記事にも書いたが、大金店は登封にいくつか存在する「教師窝(武術村)」のひとつだ。大金店の武術は主に2つの流れによってもたらされた。
ひとつは李根生(1893~1962)の系統。李根生は登封県大金店鎮箭溝村の人。25歳から武術を学び始め、最初に民間少林拳師の白作棟に学び、後に少林寺住持の恒林から教えを受け大成した。有名になった後、1930年~40年代に大金店の東街、書堂溝、雷村、文村の四箇所で武場を設け拳を伝えた。
もうひとつは1950~60年代、少林寺の徳根が登封各地で少林武術を教授し、その中でも特に大金店の人たちは熱心に徳根の拳び、その後も努力を重ねて伝承を途絶えされること無く現代まで伝えた。
大金店は近隣四方に繋がる交通の便から曾て登封の「小上海」、「小洛陽」と称され、新中国成立以前は現在の登封市区よりも繁華で商業の中心だったと言われている。その為か「文化を重んじ、よいものを積極的に取り入れる」という気風が強く、登封教師窝の中でも武術伝承の歴史は新しいものの、その内容は非常に豊富で全面的なものが保存されている。
大金店の老街は、かつて繁華街の中心だった南岳廟から東西に延びている。旧い時代の町並みが殆どそのまま残っており、清朝末期~民国初期の当時の繁栄を窺い知ることが出来る。
昔ながらの重厚な門構え、石の台座の上に太い木の柱が立てられている。石の門柱に彫刻がある建物はきっと名のある商家だったのだろう。李根生や徳根、そして現地の拳師たちがこの道を歩いたに違いない。そういえば、当門祖師の凌斗が参加した「嵩山(少林)抗日武術救国会」を立ち上げた張建仁(共産党員)、韓希賢(拳師)らも大金店の人だった。
そんなこんなを感じながらぶらぶらと老街を歩いた、登封最後の午後であった。
(完)