2023年登封滞在記⑦

●19日(後編)
夕方、磨溝村の拳師・劉振傑が鄭州にいる李朝乾老師を招いて来てくれた。

李朝乾老師のお父上は徳根和尚の弟子・李銀章前輩(1937-2021)。 李銀章前輩は徳根和尚と同じく少林寺の山北にある鞏県(現在の鞏義市)関帝廟村の出身で、1970年に登封で亡くなった徳根和尚の遺体を李朝乾老師が徳棍和尚の親戚と共に故郷に引いて帰った。ネット上には李朝乾老師がアップした李銀章前輩演じる徳棍伝心意把の動画がある。名前ばかりが有名で実体の表されない心意把の、貴重な現物資料である。

心意把_李银章

李朝乾老師はここ数年、微信(中国版LINE)のコミュニティー上で少林寺山北および徳根に関する多くの動画・文章の資料を発表しており以前から注目していた。その中に今年9月に発表された「少林哪佛拳訣」というものがあり、これは元々李銀章前輩が1950年代末から1960年代にかけて徳根和尚の推薦により呉山林老前輩の元に通って学んだ中で得た拳訣なのだが、我々の凌斗師太爺の伝えた拳訣とかなり共通する部分が多かった為、いつかご本人に話を聞きたいと思っていた。

劉振傑老師がなぜ李朝乾老師を知っていたかと言うと、永化堂聯誼会という山北及び登封に遺る複数の伝承系統が共同して2016年に設立した団体があり、その中に李銀章前輩、李朝乾老師の父子が鞏義関帝廟(少林徳根門)として参画しており 、同じく登封磨溝村代表として参加していた劉振傑老師とも関係があったという次第。

王宗仁師父の事務室で劉老師、川島先生も同席し、李老師よりこれまで発表された資料についての詳しいお話を伺った。特に 「少林哪佛拳訣」については我々凌斗系統にとっても重要であるがその源流である磨溝にとっても大切な拳訣であるため、劉老師も話に加わる事でより深い考察をする事が出来た。 また後半は川島先生から出た心意把についての質問にもいくつかお答え頂き、「心意」について動作を交えてご教授頂けたのは幸いだった。

談義を重ねる内に夜も更け、劉振傑老師は磨溝へ帰り、李朝乾老師には丁度私の居る部屋にベッドがもう一つ空いていたのでそこに泊まって頂いた。

その後部屋でまたしばらくお話し、翌朝4時に起きて李老師は鄭州に戻って行かれた。ちなみに李老師とは私が日本に帰った後にも微信で交流を続けており、李老師が発表される資料について解らない事はその都度教えて頂いている。

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