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2017年少林之行(3)

●9月13日 夜

 磨溝から帰って宿に着くと、史龍師弟が少林寺へ向かって出発する所で、「一緒に行こう!」と言うので、史龍の弟が運転する車に乗って少林寺へ行きました。登封市区から車で30分足らずで少林寺風景区に着きます。我々の学んだ武館があった場所です。

 少林寺は2002年と2004年に行われた、寺やその周囲の建築の世界遺産登録を目指した「大整理」により、すっかり様相が変わっています。当時少林寺の門残町にあった全ての家屋・武校および商店は取り壊され、登封に移住させられました。その後、地面を整理し植林をし、「深山蔵古寺、碧渓鎖少林」を再現しました。

 少林寺では一の門から山門まで、電気で動く遊覧バスに乗って移動します(もちろん歩いていくことも出来ます)。以前はこの道を毎朝寺までランニングしたものですが、今回は観光資源を享受します。バスから子供たちが練功しているのを見ては「当時、自分たちもこの中のひ一人だったんだ」と感慨にふけったり、また少林寺の中に入ってからは(専ら史龍の弟のために)ガイドを雇って院内を散策して廻ったりと、観光客の立場で少林寺の旅游を楽しみました。

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 夕方までたっぷり時間をかけて少林寺を廻っていると師父から「晩飯だ!」と電話が掛かってきたので、急いで「少林小区」へ向かいました。小区とは先に書いた大整理の際、登封市政府が少林寺村住民の為に開発した区域で、新郎新婦のために師父が建てた住まいもここにあります。

 小区の大通りには既に「恭賀新郎王鵬挙新娘呉炎暁新婚之喜」と書かれたバルーンゲートが設置され、縁起の良さそうな音楽が聞こえて来ます。我々は小区のレストランに通され、そこでは既に地元住民を招いての宴が始まりつつありました。これは前夜祭のようなものなのでしょうか。私は何故か師父のご友人、「師叔」と呼ばれる方々の円卓に座らせられ、緊張しながら白酒を煽りました。

 宴がやや落ち着いたので外に出ると、移動式舞台で演劇や歌唱など、様々な表演が行われていました。また途中で盛大な花火も上がり、大変な賑わいとなっていました。

●9月14日 結婚式当日

 朝、練功をしようと表に出ると、既に王光洪師兄が木に足を掛けて圧腿をしていました。王光洪師兄は88年に南沼溝宗仁武館で学ばれた生徒で、現在は四川省で武術学校を経営されています。王師兄と暫し一緒に練功し、南沼溝時代に教わった長護心意門拳を見せて貰いました。

 その内師父が下りて来られ、そのまま一緒に小区に向かいました。新居がある路地には、赤くおめでたい紙や提灯が飾り付けられ、門前では式の手伝いをする人やご近所さんのために餃子が振る舞われました。きっと昨日から皆で包んだのでしょう。茹で立ての水餃子は格別な美味しさがありました。

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▲家の前は綺麗に飾り付けられ、ここから30分位かけて市内を車でパレードします、

 それから身内の者は先に市内の式場に移動し、お客さんを迎える準備をします。私も一緒に移動します。

 11時半頃から、来賓が続々と集まって来ました。登封市少林武術協会現主席である王宗仁師父の息子の結婚式です。武術界からの参席者も、名拳師から大小武館の校長・館長まで、そうそうたる顔ぶれが揃います。

 式は盛大に行われ、不肖ワタクシもお祝いのスピーチを仰せつかり、日本語と中国語で祝辞を述べました。

 その後は二階の別会場に移って宴会です。どうやらメイン会場と並行して、宴も行われていたようで、宴会場に着いた時には既にあちこちの円卓で乾杯の音頭が上がっていました。

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▲師兄弟大集合です。

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▲大きな会場、沢山のお客さん。まるで芸能人の披露宴のようでした。

 長い宴もついには終わり。来賓も一人また一人と帰っていきます。会場があらかた収まった後、我々は持ち込んで余った酒や飲料などをを回収し、小区へ帰りました。

 気が付くと師父に師娘、新郎新婦も帰って来ており、朝からきっと食事を摂る暇などなかったのでしょう。ほっとした感じで餃子を食べていました。この様な光景は、日本も中国も変わらないものなのだなと思いました。

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▲人生の一大仕事を終えた父親の背中(上)と、ほっと一息の新郎(下)。

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