登封紀行 2013年3月 その3
- 2013/03/31 21:54
- カテゴリー:中国での活動
註:今回もマニアックな話題が続きます(笑)
時系列は前後して登封2日目。登封市区の東に位置する唐庄という場所に陳光栄老師をお訪ねしました。陳老師とは5年前、ほんの短い時間でしたがお会いして、七星拳の套路を見せて頂いた事があります。
が、今回詳しくお話を伺って、今まで大きな勘違いをしていた事が判明。てっきり陳老師の武術は磨溝村(「その2」参照)で教わったものとばかり思いこんでいたのですが実はそうではなく、陳老師の師父は陳發旺という方で、なんと私の曾お爺さん先生である凌斗の弟子の一人だったのです。つまり我々と同じく凌斗を祖とする、もう一系の流れと出会った事になります。
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ここで少し解説を入れておきます。
そもそも磨溝という土地は元代の伝説的な少林僧・緊那羅を始祖とする、登封でも有名な「武術村」の一つで、代々古伝の少林武術を護り伝えてきました。
凌斗祖師爺(1872~1954)は磨溝で岳父の范朝元に就いて武術を学び、後に少林寺村と凌斗祖師爺の実家のある凌家門(磨溝から山一つ越えた所にある)に拳を伝えました。
凌斗祖師爺の伝えた拳は基本構成は変わらないものの、磨溝のそれと比べて「大動作はより大きく、小動作はより小さく」練るという特長があります。また随所に小動作が多く含まれ、発力は爆発力が明確で、総じて緊密な印象を受けます。
また磨溝拳の核心套路である小洪拳を「長護心意門拳」と改名して伝えており、これがそのまま凌斗の伝えた門の名称ともなっています。
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さて、思わぬ所で親戚筋に出会ったという事で、ここぞとばかりに色々なことを質問させて頂きました。
同じ凌斗の門でも、王頂一を経て伝わったものと、陳發旺を経て伝わったものには、やはり若干の違いがあります。凌斗が弟子の特性に会わせて教え方を変えたとも考えられますし、また教わった側の重視する観点の違いから動作表現が異なっているとも考えられます。
しかし重要なのはその一門の「核心」を貫いているという事。こうして親戚筋の拳を検討する事によって、本来拳(套路)に含まれている変化の広さ・可能性を知ることが出来るわけです。
※表面上の違いはあってもやはり同じ血統を受け継いだ拳です。その実感がまた面白い。
根ほり葉ほりの面倒な質問にも丁寧に答えてくださり、また貴重な長護心意門拳の全套まで見せて頂き有り難うございました。謝謝、陳老師!!