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登封紀行 2013年3月 その2

登封市区から北東に約20Km行った山間に、磨溝という村があります。ここは私から見て曾お爺さん先生にあたる凌斗祖師爺(1872~1954)がいた土地です。凌斗祖師爺はこの磨溝村で岳父(妻の父)の范朝元に武術を学び、後にそれを少林寺村の王頂一師爺ほか、数名の弟子に伝えました。

2006年に師父に連れられて初めてこの村を訪れて以来、祖師爺の足跡を辿り、現地の拳を学びながら様々な調査を繰り返してきました。

そして今回はこれまでの集大成、失伝寸前だった磨溝陸合拳の発掘整理を遂に完了しました!

私が初めて磨溝を訪れた2006年の時点で、当地の武術はかなりの内容が失われていました。原因は伝承者の不在と、これまで伝承を護ってきた拳師達の高齢化です。

ファイル 229-1.jpg※かつて練功房だった祀堂も倒壊して久しい。

幸いな事に核心部分の小洪拳と老洪拳、そして大刀は辛うじてまだ残っていたのですが、二人で行う対打の陸合拳は、第一節から第六節までを完全に打てる人は既にいなくなっていました。

●発掘

発掘は土の中からでなく、人々の記憶から行います。

范福中老拳師を中心に、かつて范老師に就いたことのある40~50代有志が集まり、徹底的に検討を繰り返します。いずれもここ20年近く全く練習していないので、記憶はかなり断片的です。

まずは第一節から第六節までの名称を思い出します。陸合拳は重複する基本構成の上に各一節毎に特徴的な動作があって、それが各節の名称となっています。「第一節:踢一還三」、「第二節:斬子朵子」……という様にして、各節の大まかなディティールを浮かび上がらせます。

ファイル 229-2.jpg

そこからは各々が覚えている動作の断片を「ああでもない、こうでもない」と照合し、実際に何度も打ってみて感覚を思い出していきます。実際に現場にいないと解りづらいかも知れませんが、こういう時、その門派独自の「攻防に対する感性」や「リズム感」が大いに発揮されます。

ただ単に動作を繋ぐだけではいくら綺麗に攻防が成立していても、やはり感性のどこかが「気持ちが悪い」とアラームを鳴らします。

その点、范福中老師のセンスは抜群でした。「第一節はどうでしたっけ?」と問うても「忘れた、思い出せない」と仰っていたのが、我々がどうにかこうにかある程度の形にまでしたものを見て「不中!(ダメだ!)」と一喝。やにわ立ち上がり、いくつかの動作を訂正して、正に「仏像に魂を入れる」が如くでした。

ファイル 229-3.jpg

後半はこのスタイルが確立し、かなりよいペースで復元が進み、ついに「これで完成」という所までこぎ着ける事が出来ました。


実際、この復元に5年近くかかりました。これを見たある人は、「みんな近所なんだから、ぱっと集まってやればすぐ出来るだろう」と思うかも知れませんが、現地での人間関係、時間の制約、そして何よりも「機」。

思い出せと言われて思い出せるなら、どんなに簡単な事でしょう。しかしそうも行かないのが人間の記憶の難しい所でもあり、面白い所でもあります。今回は実に色々なタイミングや環境がうまく合わさって、一気に復元までいく事が出来ました。本当に協力してくれた現地のみんなに感謝です。

「100%原型と同じか」と言われれば、それは誰にも解りません。しかし限りなく100%に近い形に復元できている事は間違い有りません。今後は数年をかけて磨溝の老人達に見せて廻り、老前輩方の感性に問うてみようと思います。

そうした中でまた面白い発展もあるかも知れません。

~「その3」に続きます~

ファイル 229-4.jpg※向かって左から范三(范福中老師の息子さん)、劉振傑、范福中老師、私。

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