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磨溝物語
先日「秘伝」誌に掲載された「古伝少林拳の故郷を訪ねる旅路 今こそ蘇る磨溝の拳」について。誌面の都合で泣く泣く削った部分が多々あり。この磨溝の名前の由来についてもその一部分です。
以前mixiに投稿したものですが、改めて。
磨溝にはこうした故事のある旧跡が数多く遺っています。今後はこれらの故事や古い言い伝え、習慣なども少しずつ整理していこうと思っています。
●磨溝の名前の由来
現在我々が生きている天地が開闢する以前、この付近には桑桑、昌昌という双子の姉弟が住んでいました。二人が十六歳の時、母は病気で亡くなり、それ以後は父が畑を耕し、桑桑は家事を行い、昌昌は毎日学校に通って暮らしていました。
ある時昌昌が学校から家に帰る途中、ふいに背後より名前を呼ぶ声があり、振り返るとそれはこの路にには古くよりある雌雄二頭の石で出来た虎でした。石虎いわく「腹が減って仕方がない、お前が明日学校に行くときに、饅頭を持って来て食べさせてはくれまいか」と。
その次の日より昌昌は毎日朝ご飯を食べると余分に饅頭と持って出かけ、途中で石虎にそれを食べさせました。姉の桑桑は弟が毎日余分に饅頭を持って出るのを不思議に思い、それを問うたので、昌昌はありのままを姉に伝えました。桑桑は「これにはきっと何か奥深い意味があるに違いない」と考え、次の日からは二頭の石虎それぞれに食べさせるように、二つの饅頭を弟に持たせて出しました。
こうして九十九日が経ったある日、石虎が昌昌に言いました。
「明日の午後、お前と姉の二人でここに来なさい。決して忘れないように」
次の日、姉弟二人が石虎の前に着くと、突然天が暗転し、山地がぐらぐらと揺れ始めました。すると雌雄の石虎は昌昌と桑桑とをそれぞれ一口で飲み込みその腹に納めました。姉弟が石虎に問うても、石虎は「天機を口外することは出来ない」と語らず、二人はただ石虎の外で天が倒壊し、山が崩れ、地が陥没する音を聞くばかり。石虎の腹の中でこれまで自分たちが持ってきた饅頭を食べながら、こうして百日が過ぎた時、石虎は口を開いて言いました。
「天地は開闢した、お前達二人は出てきなさい」
姉弟二人が外に出てみると、世界には何もなくなっていました。ここで石虎は二人に真実を告げました。「お前達が我々の腹で過ごした一日は外界の一万年に相当する。今は大難が去り、天地が開闢し、新しい世界が始まったのだ」と。
二人は自分たちはこの石虎のお陰で大災厄を避ける事ができたと知り、急いでこの神虎の前に跪き叩頭をすると、石虎は二人に「現在の世界にはお前達二人しか残っていない」と告げ、二人に結婚して後代子孫を残すように勧めました。しかし二人は血の繋がった姉弟ですから、涙を流してそれは出来ないと訴えたので、ある日神虎は桑桑の夢に出現し「東西の山頂から石臼を転がし、中間の溝で見事臼が合体すれば、結婚するがよかろう」と告げました。
姉弟は神虎の言う通り、桑桑が西の山に、昌昌が東の山に登り、そこからそれぞれ石臼を転がすと、石臼の凹凸は二人の中間で「がしゃん」と音を立て、計ったように一つになったので、姉弟は天地を拝して婚姻を結び、子孫を残すことに決めました。現在の世界の人類は皆この桑桑、昌昌の子孫であり、実はこの二人は女媧と伏羲であるとも言われています。磨溝の名前は二人がこの溝で磨(臼)を転がし、婚姻を決めたたという故事から来ているのです。
磨溝拳
今日は一日休みだったので近所の公園で磨溝の小洪拳・老洪拳を打ちました。
磨溝村は凌斗祖師爺がいた村。凌斗祖師爺はこの村に伝わる小洪拳を元に、長護心意門拳を創始しました。
久しぶりに磨溝の拳をじっくりと練ってみて、長護心意門拳は丹田系、小洪拳は天然系という事を改めて感じました。
長護心意門拳や七星拳など、凌斗祖師爺を経た拳は全て丹田を練る為の動作と要求が組み込まれており、拳を練っていると否応なく丹田気を意識・鍛錬せざるを得ない構成となっています。
これに対し、小洪拳や老洪拳など磨溝の拳は丹田や気などの事は余り言わず、それよりも身体全体に充ちる生命力のようなもので打つという傾向があります。ですので磨溝の拳はある程度身体の強さがないと打っても様になりません。逆に現地は元々山間に住み農業や肉体労働に従事している人が多いので、動作はあまり上手でなくても不思議と様になってしまいます。
磨溝の拳と凌斗の拳、両者の差異については、凌斗祖師爺が少林寺の院内と交流して心意把を吸収した結果なのではないかと以前から推測しています。これについてはまた機を見て考察を発表したいと思っています。
それはさておき。磨溝拳はあまり細かいことは考えず、自分の身体能力と気持ちを存分に発揮して打つので、何本も打つと結構に疲れますが、何とも言えない爽快感があります。
こんな休みの日にはもってこいの拳でした。
↑磨溝村の劉振傑による老洪拳。劉教練よりも若い世代でこの拳を打てる人は殆どおらず、その上は軒並み70~80代、という状況だったのが、ここ数年で村に武館が建ち、少人数ながらも磨溝拳を学ぶ子供が集まって来ています。
花小金井少年班 西澤です。
この日は、先輩T君がお休みの為、
後輩T君とマンツーマンでの練功
二人での練功は初めてのT君、少し緊張気味
その緊張感が、良い方に作用したのか、
集中力が途切れる事なく最後まで頑張りました。
何度も繰り返し、身体に染み込ませ
大切なところは自分なりにメモを取る。
取り組む姿勢が模範的です^ ^
休憩をそんなに入れなかったので、後半は流石にバテていましたが、良く頑張りました。
花小金井少年班の西澤です。
昨日の花小金井少年班
この日も元気に練功しました。
T君とT君
何方もT君なのでイニシャルだと区別が付きませんね。
入門して数ヶ月のT君、この日『連環拳』が最後までいきました。
順番を覚えてからがスタートです。
確りと自分のモノにして貰いたいですね。
写真はそのT君です。
雨練功
総教練の川口です。
このブログはこれまで私一人が日々の練功やらその時々の出来事などを細々と書き連ねて来ましたが、これからは「総教練川口」・「亀有分会清水」・「花小金井少年班西澤」の三人体制で、古伝少林拳に関する様々情報や、各分会の活動情況などを発信していく事になりました。以後、よろしくお願い致しますm(__)m
さしあたって、冒頭に「誰々です」と明記する事で、筆者の区別をつけようと思います。→投稿者が表示できるように設定変更しました
ちなみにこのひとつ下↓の投稿は花小金井少年班西澤です。
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さて、今日は一日お休みの日なれど、朝からの雨。子供らを保育園に送った後、公園の東屋で雨をしのぎながらの練功でした。
はじめは東屋の柱を使って鉄身靠や推樹功(つまり、柱や木に体当たりをしたり推したり、打ったりする練習方法です)を練っていたのですが、次第に雨足が強まって来て、最終的には東屋の中央近くの小さなスペースに追い込まれてしまいました。
そこでまだ無事な中央を使って「体操」の練習を開始です。
この体操、私がこの二十年かけて王宗仁師父はじめ登封の老拳師から伝授された各種内外の練功法を精選・再編したもので、古伝少林拳の拳師達が身体を造り上げた知恵のエッセンスが詰まったものです。
4種類の大きなまとまりで構成され、ひとつ練るのに大体15分くらい。その時の体調や使える時間により、負荷を調節したり内容を組み替えたり出来るようになっています。
私は仕事などの都合で通常の武術練功が出来ない時など、この中の2~3種類を選んで行うようにしています。これさえやっておけば身体はいつでも動ける状態に整えられ、また功夫もやった分だけ着実に上がってくる優れものです。
今は名前もなく只「体操」と呼んで、バラバラの形で同盟会の練功に取り入れています。いずれはきちんと名前をつけて体系化し、最終的な微調整を経て、誰でも気軽に練習できるように公開していきたいと思っています。
鍛錬道具
鉄の棍と銅の九節鞭。
朝の往診前に自宅前での鍛錬です。
九節鞭は先月登封(少林寺)に行った時、師父から頂戴しました。
この九節鞭、身法を練るのになかなか役に立つのです。銅なので結構な重さがあり、しかも振り回すと遠心力で更に体感重量は増します。そしてその名の通り鞭のようにしなりながら運動するので、これが通常の硬い武器を使う時より変化に富んだ負荷を身体に与えてくれます。
中国武術は武器の種類が豊富ですが、このように上手に鍛錬に用いると面白い効果を得られるものが少なくありません。
春に行く
春の中国行きまであと一週間を切りました。
今回は久しぶりに当会の生徒が三名同行します。
今までと違うのは、私もあくまで自分の修行として、この旅に臨むという事です。
つまり、衣食住それと交通の最低限度は皆の為に手配するけれど、それ以外の練功や現地での生活・活動については私も皆と全く同じ立場で行かせて貰います。
基本の行程からは観光やお楽しみといった要素は全部外しました(もちろん、空いた時間とお金を使って観光や娯楽を楽しむのは自由です)。私が用意するのは練功の環境のみです。そして、どの程度その環境に入り込むかも本人達にお任せしています。
現地で教えを受ける拳師とのやり取りも、私は極力参与しない事を決めています。私は私の聞きたい事を中心に聞き、学びます。
各々が持てる表現力・理解力を駆使し、拳師と直接往来をして貰います。
つまり、一人ひとりがこの旅の主催者であり、享受者であるという事です。
さて、今までとは完全に異なるコンセプトの今回の旅。
吉と出るか、凶と出るか。
とにかく今は準備を粛々と進めるのみです。
すでに現地での活動予定を大幅に改変しなければならない知らせがきて悩ましい。今回はちょっとアクロバティックな立ち回りをしないといけないかもです(まあそれは私が幕後で動く事なので、参加の三方はご心配なく!)。
特訓(?)
今回は今までで一番辛苦だったと思います。
昨日は明星大学の武研にて、伝統少林拳の講習を行ってきました。
通例ですと少林拳の身体操作のルールやそれを応用した技法などを中心に講習を進め、套路は最後にほんの少しやる程度でした。
しかし今回は事前に「11月の学祭で通臂拳を演舞したい」という学生さん方からの希望があったので、通臂拳の套路を時間一杯集中的に教授いたしました。
通臂拳の動作は約25動作。少林拳の套路としてはそう長くはない部類に入ります。しかし尺は短くともそこには中国武術の様々な智慧や規矩が含まれています。それを一回の講習で全部覚えてしまおうとすれば、あちこちに無理や不足は当然出て来ます。
それでも今回は無理を承知で、まさに「無理やり」全套二時間半で覚えきって頂きました。
細かい理屈は最低限にして、とにかく時間一杯使って型を覚え、繰り返し繰り返し打ち、身体に詰め込んでいきます。いちいち頭で考えて納得・理解している時間なんてありません。
講習最後の30分はさすがに皆さん疲れがピークに来ている様子でしたが、へろへろになりながらも、全員最後まで頑張ってやり通しました。
やり終えて。
たまには細々したことを考えずに、ひたすら「練拳」するのもいいものだ。と改めて思いました。思い返せば自分が少林寺で王宗仁師父に就いて拳を練っていた時も、動作を教わったら只ひたすら繰り返し打ち、それに熟練してからぽつりぽつりと理論を教わる、あるいは自得するという方式でした。
現代社会ではなかなかそういったやり方は難しいし、受け入れられづらいとは思いますが、昨日は敢えて色々な制約を無視して若い皆さんと無心に拳を打てたのは自分にとっても懐かしくも新鮮な一時でした。
学生の皆さんは是非11月の演武までじっくり拳を練り込んで頂き、その後12月の講習では改めて、通臂拳の含意をお伝えしたいと思います。何はともあれ、昨日はお疲れ様でした!
崔西岐老師の通臂拳。
この映像は恐らく76歳前後の時に撮影されたものです。