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こちらは少林拳同盟会の旧ブログです。
更新はストップしていますが過去記事アーカイブとして保存しています。

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なお、同盟会サイト自体のURLには変更がありません。
引き続き、よろしくお願い致しますm(_ _)m

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エントリー

2011年11月の記事は以下のとおりです。

格手

昨日は通常の練功時間内の最後に珍しく格手を行いました。格手とは散手とも言い、自由攻防の練習、実用法です。

自由と言ってもまだまだ皆格手初心者ばかり、月に一度の講習でやっとこ攻防の基礎を学んだレベルです。ですからその時々で色々と制限や加減を加えて練習しています。


●よかった点
単独での歩法(前進・後退・左右転身)が前よりスムーズになって来ている。足がもつれることは少なくなって来ている。今後更に熟練し、自在に移動できるようになれば良し。

安全に対する意識が定着して来ている。相手のレベルを見て力が加減できる。その時々の練功の目的を理解し、それに見合った動きが出来る。

相手をよく観察する意識が持て始めている。おかげで不必要な同時衝突→膠着は減った。

●今後の課題
練習した招法が出ない。場当たり的な単発の突き蹴りが多く、技の「極め」までいかない。套路のように何も考えなくとも一連の技が出るように、まず今の段階では自分一人で行う動作の熟練が必要。

目線が散漫。相手の枝葉末節の動きにとらわれて、目線が一定していない。相手の中心を常にとらえ、最短距離を直線で攻めるという少林拳最大の特長を、今後徐々に体現していかなければいけない。これも套路練習時に改めて意識する必要がある。

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練功の最後に、画像のような簡易的なヘッドギアとグローブラップという薄手でナックル部分に衝撃吸収ジェルが入っているグローブの組み合わせで、教練二人と試験的に軽い攻防を行ってみました。結果としてはなかなかよい感触でした。

頭部を保護する防具も、スーパーセーフやキャッチャー面タイプのように顔面を完全に覆うタイプですと、ひとつは顔から防具までのの距離が実際よりもやや遠いため、距離感が気持ちが悪い。それと、安全性が高い故に、相手の攻撃を受けることに対する緊張感が失われやすいという欠点があります。

またグローブに関しては、やはりあくまでも素手に近い感覚で、中国武術ならではの技術が使えるようにしたいという事。総合格闘技ようの指出しグローブも使った事がありますが、やはり「いかにもグローブ」という感じがして、動きが雑になってしまう。

そんなこんなで色々と試行錯誤しているのですが、今回の組み合わせは、武術としての緊張感と、安全性との折り合いを考えてもなかかなよい選択でした。基本ライトコンタクトで、ガチガチの打ち抜きは禁止という条件ですが、それでもある程度の力と勢いで打った拳についてもグローブラップに仕込まれているジェルがよく効いているようで、安全感は保たれていました。また同時に突きを「当てた」、「食らった」という感覚は割とリアルに得られていたようです。

これからしばらくこのスタイルでやっていこうかと思います。

2011年 中国(登封)研修旅行 その7

●10月28日 王宗仁師父

いつものように朝5時半起床、6時頃から練功を開始する。空はまだ明るくなりきっていない。学生達は軽くランニングをして、圧腿。それから基本功をやって身体を温める。こちらはその間に自分の拳を2,3本打つ。

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しばらくすると師父が降りてこられる。登封に来てから毎朝、師父の指導を受けてきたが、今日が最終日だ。ひとりずつ、師父の前で拳を打ち、今回学んだ成果の検査を受ける。

今回師父より教えを受けた拳は、基本的に殆どが学習済みの套路である。新しい套路をいくつもやれば彼らにはいい「お土産」にはなるだろうが、それはせず。新内容の学習は本当に必要なもののみに留めた。「むやみに拳を数多く覚えても実力が付かないし、意味がない」というのが師父の変わらぬ考えだ。そういう訳で「いま持っているもののレベルアップ」が今回の実質的なテーマであったと言えよう。

最終試験はと言うと、「皆それぞれ少なからぬ収穫がある」という事で合格。私の目から見ても、ここ数日間での皆の進歩振りは実際目を見張るものだった。

やはり毎日毎日、師父の動きに直に触れ、教えを受けたのは大きい。登封に拳師は数多くいるが、ある者は「教えられるが、打てない」、またある者は「打てるが、教えられない」。伝統少林拳に精通し、かつ実際にこれだけのレベルで打ってみせられる拳師は実際そうそう居るものでなないのだ。

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師父も孫弟子達のために、何度も示範動作を打ってくださり、皆その動作のひとつひとつ、架勢の正確さ、転身の素早さ、発力の強大さをしっかりと脳裏に焼き付けた。また師父は彼ら一人一人に、現在本当に大切と思われる問題を気付かせ、同時に必要なアドバイスを与えてくださり、これは今後の彼らの練功において大いに助けになるだろう。

こうして今回の研修旅行の主たる日程は無事に終了した。「お土産無し」と言ったが、実際はそれぞれ多くのものを持ち帰ることが出来たと思う。あとはその成果をしっかりと保持し、雲散霧消しないように練り込むのみだ。彼らが帰国後、どのように変化していくかが楽しみである。

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2011年 中国(登封)研修旅行 その6

●10月27日 「宋双平武館」

宋双平の武館は少林寺門前町より東に約5キロ、少林水庫(ダム)対面の山中にある。

我々が武館に到着したのは午後3時。丁度武館の学生達は午後の練功を開始し、ランニングに出掛けていた時だった。しばし久しぶりの再会に近況報告や、当方の生徒達を紹介などし、その後武館の練功場所に移動して、学生達の練功を拝見した。

まずは春秋大刀。大刀を演武してくれた学生は、始めてまだ数ヶ月だというのに、身法と刀法の協調がなかなかよく出来ている。下半身もよく安定して、足運びもスムーズだ。

次に見せてくれたのは縄鏢。これは宋双平武館十八番の兵器である。この武器は縄の先に鉄の尖ったクサビが付いている。通常の武器と違って縄でコントロールするものなので、手さばきと、何よりも身法(体さばき)が巧くできないと、自分で自分を傷つける事になる。

その後いくつかの演武があり、最後は宋双平の石鎖。これも彼の十八番中の十八番。20キロ近くある石鎖を実に巧くコントロールし、様々な動作を見せてくれる。

日本ではもとより、中国でもなかなか本物を目にする機会のない武器や功法を見て、当門の生徒達も大喜び。演武が終わった後の石鎖を実際に持ち上げてみたりして、「真の功夫」というものを体感する事ができたようだった。

そして幸運なことに短時間ではあるが、生徒達は宋双平より縄鏢の手ほどきを受けることが出来た。常日頃扱っている棍と違って、なかなか思うように操れないが、ちょっと目先が変わって非常に興味をそそられた様子だった。懇切丁寧な指導で各人2,3の基本動作を覚えることが出来た。この縄鏢については扱えるととても楽しいものなので、いずれ日本でも集中講習会を開いて普及したいと思っている。

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更に演武が終わって室内で歓談していると、二人のご老人が訪ねて来られた。いずれもお名前を伺う機会を逃してしまったが、その内のお一人は出家の方で、山中に住んで鍼灸の名人であると双平が教えてくれた。話が進むうち、場の流れで大刀を披露して下さる事となり、再び外に出て皆で拝見した。とても80過ぎとは思えない、迫力のある動き。見たことのない大刀の套路だったが、非常に原始的、実用的な刀さばきが印象的であった。

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これで俄然場が盛り上がった所に、宋双平が大刀を持って再登場。この大刀がまた常識外れで、大体50~60キロある代物である。ちなみに当門の生徒が試しに持ってみた所、大刀を縦に立てて支えているのがやっとの状態であった。これを使って廻す、斬る、突く等、大刀の動作を一式一式行い、終わった後は息も乱れず、汗もかかない。全く「凄い人物は居るものだ、しかも身近に」と改めて実感した。

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こうして楽しい交流の時間はあっという間に過ぎ、外は真っ暗になった頃、我々は武館を後にし、登封市区へ向かった。今晩は登封滞在最後の夜。師父と師兄弟との宴が待っていた。

2011年 中国(登封)研修旅行 その5

●10月26日(午後) 「釋永成師父」

少林寺は登封市区からバスで約30分。言わずと知れた、禅と少林武術の発祥地である。今回、初中国のメンバーにとってはこの少林寺参拝は大きな目的の一つであるから、当然彼らの興奮度は目に見えて解る程だ。

少林寺門前町の入り口で、永成師父に電話を掛ける。よかった、師父は寺にいらっしゃる。以前何度か伺った時には御用で留守だったり、またお身体を悪くされて入院されていてお会いできなかった事もあり、こればかりは何とも御縁なのだから仕方がないと思っている。

少林寺山門をくぐり、蔵経閣の東側にある小さな通用口から僧坊に入る。ここからは通常の観光客は入って来ない、寺僧のプライベートなスペースである。

前回お会いしたのが2008年だから、3年振りだ。果たして、師父は変わらずの笑顔で我々を迎え入れてくれた。師父は皆を座らせると、早速お湯を沸かす。そうして我々は美味しいお茶を頂きながら、しばしお話を伺った。

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永成師父との雑談(「雑談」と言っていいのかは解らないが)は楽しい。ごくごく普通の世間話をしている中にふと、どきっとさせられたり、笑わされたり、考えさせられたり。そして師父のこの笑顔だ。なんとも表現の仕様がないが、敢えて言えば「寒山拾得」を彷彿とさせる独特の笑顔。同行した一人が言っていた「うふふ」という表現がぴったりだ。

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不肖の弟子である私には仏法の何たるかは解らないが、きっと「禅者」とはこういう人の事を言うんだろうな、と解らないなりに思う。日本にいるときに生徒からしばしば「先生は少林寺のお師匠様に何を教わっているんですか」と質問を受ける。だが実際の所、参禅(坐禅)する訳でもなく、説法を受けるでもなく。ただ師父との何気ない会話と笑顔が好きで、機会の有る毎にお訪ねしている次第である。

今回のメンバーにも「行って会えば解るよ」と言ってここまで来たが、どうだろう。まあ「解ったような、解らないような」が禅なのだから(本当にそうなのか?)、それでいいんだろう。

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2011年 中国(登封)研修旅行 その4

●10月26日(午前) 「呉風高老師」

この日は午前中、呉風高老師に就いて小武功と炮拳を学んだ。場所は迎仙閣公園。

呉老師はかつて王頂一師爺にも学んだことがある方で、また王宗仁師父の小洪拳、炮拳は呉老師の指点による所が大きい事から、2008年の春節にお会いして以来、主に炮拳を中心に教えを受けている。

呉老師の炮拳は、動きがコンパクトで切れ味が鋭い。また、元々エンジニアだったという職業柄か、とても几帳面なお人柄であり、拳の式もひとつひとつが非常に正確できちっとされている。指導の方面も然りで、ひとつの套路を講ずるにも套路の動作、理論、用法と実に丁寧で細やかであった。

小武功は主に呼吸や意念、感覚を練る功法だが、下盤(足腰)の根っこを強くするのにも適した優れもの。今回、参加メンバーの中で功法の学習を希望する人がいたので、呉老師に特にお願いしてご教授頂いた。

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ところで今回改めて伺った所、呉老師は御歳八十になられるとの事。とてもそうは見えない。そして身なりはいつでもこぎれいのこざっぱり。ステキな老拳師なのだ。意義深い練功の後、昼食をご一緒し、お宅までお送りしてお別れした。そして我々はその足で午後の目的地、少林寺へ向かった。

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2011年 中国(登封)研修旅行 その3

●10月25日 「磨溝村」

朝の練功を終え、朝食を済ませるとすぐに磨溝に向けて出発。

磨溝は、少林寺の膝元である登封でも名の知れた武術村。俗に「匪賊、盗賊も避けて通る」と言われた程、武術の盛んな土地で、元代の少林僧・緊那羅が伝えたという貴重な古流の少林武術を残している。

当門祖師の凌斗はこの磨溝にて、岳父(妻の父)の范朝元より拳術及び兵器を学び、後に少林寺村にて教場を開いたという、いわば当門に於ける「拳の故郷」である。

▼磨溝へと続く道。去年までは舗装のない土の道だった。
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磨溝についてすぐさま、范福中老師のお宅に伺う。范福中老師は磨溝拳師の長老格で、新中国成立前の混乱期を、実際に武術をもって自身と家族を護り生き抜いてきた、拳の生ける証人である。

まず始めに私自身が、范老師より磨溝小洪拳、老洪拳及び陸合拳の手直しを受け、続いて今回初めて磨溝を訪れた当会の生徒達が范老師の前で拳を打ち、それぞれにアドバイスを頂いた。范福中老師のアドバイスは単なる形や順番の正誤ではなく、「勢」や「意」、そして「法」といった、武術の根底に共通して流れる「精華」とも言える部分を専ら強調されていたように思う。

▼范福中老師より、磨溝六合拳の教えを受ける。
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▼動作を示す時の一瞬の眼光。
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午後は生徒達が劉振傑老師に就いて、磨溝拳のひとつである雲陽拳を学習した。教えてくれた劉振傑老師は、私が6年前、師父に連れられて磨溝を訪ねた時、一番初めに知り合った村の拳師で、この世代ではトップクラスの実力者である。

実際、当会の生徒らが磨溝の拳を学ぶのは初めてである。今まで学んだ通臂拳、小洪拳、炮拳と言った少林寺院内系列の拳とはまた違った風格に、最初少し戸惑っていた感もあった。が、そんな些細な感覚はすぐに消えてしまう。劉老師の指導はとにかく熱心である。一拳一脚が全力投球。適当とか妥協とか云うものは一切なし。こちらで曖昧な動作をしていると、遙かあちらから「不、不、不!」と言って駆け寄り、すぐさま修正を施す。おかげで数時間はあっという間に過ぎ、全員が一応套路の順番を覚える所まで行ってしまった。

▼劉振傑老師の熱血指導。
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生徒の誰だったかが「普通にしていると車を運転している普通の人なのに、動き始めると全然違うんですね。格好いいです」と言っていたが、磨溝の武術は正にその通り。范福中老師も今では引退したものの、元々は農業を行っていたし、劉振傑老師も畜産を生業としており、職業的な武術家という訳ではない。

決まった学校や組織がある訳でもなく、ごく当たり前に村の中で代々伝わってきたもの。それは有事には村を護る自衛の手段となるし、平和な時には皆で集まって拳を披露したり、論じ合ったりする娯楽の側面も持っている。実際、磨溝で拳を打っていると、いつの間にか人が集まってきて「ああでもない」、「こうでもない」と論評が始まる。中には隠れた達人も混じっていたりして、思いがけず貴重な教えを受けたりする事もある。

私自身、こういった生活に溶け込んだ武術の練り方が大好きであるし、この磨溝の土地も人も本当に好きである。今回、初めて当会の生徒達を磨溝に連れてくることが出来、よかったと思う。ぜひとも帰った後、日本の同門達にもこの村や拳の雰囲気を伝えてあげて欲しいと願う。

▼范福中老師(向かって右)と劉振傑老師(左)。
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2011年 中国(登封)研修旅行 その2

●10月23日、24日 「全国武術少林拳比賽」

登封に着いたその当日、「全国武術少林拳比賽」があり、午後には師父も老年組に長護心意門拳で出場するとの事。本来はこの大会、10月12日に開催の予定であったのだが、諸々の理由により今日まで遅れたのだそうだ。何という幸運。

昼食後、早速大会会場である鄭州大学体育学院へ。正直、若い世代の拳は殆ど全てが現代化された表演(競技式)少林拳で、今さら見るものはないと余り期待していなかったのだが、それはそれで少年少女のきびきびと元気溢れる演武は表演、伝統に関係なく、清々しく気持ちのよいものであった。

その中でも一部、地元登封から伝統少林拳師の参加もあった。王宗仁師父は拳術では長護心意門拳、兵器では春秋大刀を打ち、梁継紅老師は家藝の太祖長拳、王志強師兄は眉斉棍を演武し、いずれも表演少林拳とはひと味違う、玄人好みする堅実な功夫で観客や他の参加者達を唸らせた。その他に磨溝(当門の故郷)と対をなす登封の「武術村」である阮村の拳師も、関東拳、心意拳、双草鎌、陸合棍と、普段滅多に目にする事のない古伝少林拳を披露し、少林拳の発祥地たる面目を保った。

日本にいる時、常々「伝統少林拳と表演少林拳」の事を生徒達に話していたが、正直こういうものは実際に見て体感しないと腑に落ちないというか、実感が出来ないと思う。しかしこうして同じ場所で伝統と表演両方が同時に見られると、それぞれの違いというものがよく解ったのではないだろうか。双方の違いが解って始めて、自分のやっているものの貴重さが解るし、同時に他方の良さや意義も見えてくるものなのだと思う。

そして何より、通常ではまず見ることの出来ない師爺の試合姿を、生徒達に見せられたのは何とも幸運な事であった。超ハイレベルの功夫を目の当たりにした生徒達の、その後の登封での練功に俄然熱が入ったのは言うまでもない。


王宗仁師父。拳術、兵器共に最高得点を出して一位を得た。
写真は最終日、閉幕式での模範演武。
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登封の伝統拳師達。左から王占洋老師、王宗仁師父、
梁以全老師、王志強師兄、梁継紅老師。
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試合会場からの帰りに乗った三輪バイク。8人乗った。
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2011年 中国(登封)研修旅行 その1

●10月22日 「出発」

5月から準備を重ねた今回の研修旅行のいよいよ第一日目。今回は幸運にも羽田8:30発の便が取れた。早い時間の便なので、参加者は各々4時前後に起きで始発に乗って集合したとの事。こちらは引率者の手前、絶対に遅刻は許されないので前日から近場のビジネスホテルに泊まって、羽田へ。

定刻通りのフライトで、現地時間11:55に北京着。名古屋出発組も程なくして合流。当日の夜行列車チケットを空港で受け取る予定だったのだが、電話をしたら「忘れてた」との事。市内で会って受け取ることに。この辺りは想定の範囲内。

北京→鄭州の夜行は21:20発。時間があるので、故宮(紫禁城)見学に。ところが移動や、列車チケットの受け取り、荷物の一時預け等々、途中で結構時間を食ってしまい、結果かなり駆け足で駆け抜けることになってしまったのがちと残念。しかも入り口とは違う門から出て、そこからタクシーに乗ろうと思っていたら、全然タクシーはつかまらず、結局広大な故宮の外堀を延々と回り道する事に。参加者の顔に疲労の色が見え、申し訳なく思う。

それでもどうにか夕食を済ませ、北京西駅から鄭州行きの夜行列車に乗り込む。寝台列車の寝心地については、参加者の感想はバラバラ。個人的には、夜行の旅はキライではない。列車にガタゴト揺られて眠り、夜中にふと目が覚めると見知らぬ駅に停車している。その雰囲気が、いかにも旅情があってよろしいと思う。

翌朝。5時過ぎに鄭州着。駅前の食堂で朝食をとり、そこから高速バスで一時間半。やっとこ目的地である少林寺の麓・登封に到着した。

宿に登記し、荷解きもそこそこに王宗仁師父を宿にお迎えする。参加者一同集合し、師爺と初対面(内二人は二回目、三回目)。伝説の大拳師を前に、皆どんな印象を覚えただろうか。

さて、これからが研修旅行本番である。

天安門前にて。
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霧にけむる故宮外堀。
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列車の待合室。この時は空いていたが、乗車直前は大変な混雑に。
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