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カテゴリー「武術」の検索結果は以下のとおりです。

武術用語 その1

  • 2012/02/28 10:27
  • カテゴリー:武術

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何の分野にも専門用語というものがあると思います。中国武術にもこれが結構あり、私も普段の教授やこのブログでもよく使ったりしているのですが、初めての人や門外の人には解りづらい、と言うか意味不明だと思います。

あまり専門用語を振りかざして悦に入るのもよくないと思いますが、やはり訳語ではどうにもしっくり来ない、本来の持つ含意というか勢いがなくなる言葉があるのも事実です。

そんなわけで、よく使う「用語」を思い付くままに列記してみました。実際にはまだまだあるので、またその都度書き足していこうと思います。

※1:あくまで当門の「呼び慣わし」です。実際は門派や先生によって様々な解釈、使い方があります。

※2:括弧内は平仮名が日本語に当てた読み方です。カタカナは中国語の読み方を便宜上カタカナで表現したもので、本当の発音とはやや異なります。

●功夫(こうふ/ゴンフ)
時間を掛けて身に付けた実力。技巧とか美観よりも、もっと深い根本的な部分を指すイメージ。日本語では「地力」か。中国語では「時間」そのものを意味します。また、武術以外でも「あの人は料理の功夫がある」というように、日常会話でも広く使います。

●練功(れんこう/リエンゴン)
元々は武術の様々な能力を身に付けるための鍛練を「練功」もしくは「練功夫」と言いますが、そこから転じて武術の練習を行う事全般を「練功」と呼び慣わしています。

●套路(とうろ/タオルー)
中国武術の練習法のひとつで、日本の武道や芸能でいう型と同じ。決まった形を順番に従って連続して行います。套路は門派独自の動作のルールを身に付けるための、大切な練習方法です。套路を練ることを「練拳」とも言います。

ちなみに「少林拳」というのは門派名。「小洪拳」、「七星拳」、「炮拳」というのは少林拳という門派の中にある套路名です。

●架勢(かせい/ジアシー)
立ち方・姿勢の事です。単に足の形を言う場合もありますし、全体の姿勢を言う場合もあります。少林拳では主に「弓歩・馬歩・僕歩・虚歩・歇歩・独立歩」の六種類を用います。別な呼び方:歩形・歩子・架式・架子などなど。

●学生(がくせい/シュエション)
中学生や高校生、大学生などの学生の事ではありません。一般の生徒の事を「学生」と呼びます。ちなみに一定の修行期間を経て、「拝師」という儀式を受けた者を「弟子」、「徒弟」等と呼び、学生とは区別します。

●霊活(れいかつ/リンフオ)
『日中辞典』によると、「敏捷、すばしこい、融通がきく、柔軟性がある」との事。武術でも大体同じ様な意味ですが、「臨機応変」とか「スムーズに動く」という意味もあります。

●節奏(せっそう/ジエゾウ)
所謂「リズム」の事ですが、武術では特に拍子・呼吸・緩急・強弱・動静・快慢などを含んだメリハリを節奏と言います。

●放鬆(ほうしょう/ファンソン)
「リラックス」、「脱力」とよく訳されますが、「単に力を抜け」と言う事ではなく(これでは「無力」ですね)、必要な力・テンションを保ちつつ、余分な力を抜くという状態を指します。

●好(ハオ)
「よし」と言う意味です。少林拳の発祥地である河南省では「中(ジョン)」とも言います。

久々の

  • 2011/04/18 21:08
  • カテゴリー:武術

この土日は久しぶりに健身班、第一武術班、第三武術班と練功を行いました。3月半ばより震災や私の訪中などの関係で、かなり変則的なスケジュールになっていましたが、とりあえずこの土日から通常の練功を再開する事が出来ました。

まだ4月中は体育館が使用が出来ないため、全て外での練功でしたが、幸い気持ちの良い晴天で、集まったメンバーも久しぶりに身体を思い切り動かせる心地よさを感じているようで、皆活力のあるよい動きを見せていました。

もうもうと砂煙を上げながらそこ此処で拳を打ったり、対打をしたり、または兵器を練ったり。ひとりで練る拳も悪くないですが、やはり皆で集まって練る拳は格別です。

当たり前になると何も感じないものですが、実はその当たり前がとても有り難いものなんだなと、改めて感じた週末でした。また来週からも、毎回よい練功が出来ますように!

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怪我・故障のの予防

  • 2010/08/31 00:14
  • カテゴリー:武術

武術を学ぶ上で、怪我や故障を避けるために。

まずは正しい姿勢・動作を心がけることです。その為には師の言うことをよく聞き、姿勢・動作をよく見て、常にそれに従って練功する事が必要です。姿勢や動作が間違っていると、武術的にも意味を為さないばかりか、結果として身体を壊す原因となります。逆に正しい要求に沿った姿勢・動作を行うことは身体を強くし、健康にも大いに益があります。

次に練功が過度にならないように注意する事です。どんなに正しい姿勢と動きで行っても、負荷が度を過ぎれば身体を壊します。練功は、「易から難」、「少から多」、「弱から強」が原則です。時には強い負荷で集中的に練り込む方法も必要ですが、特に初心の内は進歩を焦らず、まずは毎日の練功を無理なく継続する習慣をつけることが大切です。

最後に注意するべきは、練功時の心身の状態です。思わぬ怪我は、往々にして精神の働きが散漫な時や、身体の不調な時に起こるものです。練功は、精神・身体共にある程度充実した時に行い、そうでない時には敢えて休む事も時には必要です。俗に「疲労が激しい時、心配事のある時、怒りの感情が強い時、空腹の時、満腹の時には練功をしない。やったとしても功がつかない」と言い習わされているのも、そういう意味があるからです。

久々の新刊

  • 2010/08/16 11:19
  • カテゴリー:武術

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久しく動きの無かった中国武術関連書籍に、待望の新刊です。
『中国武術 最強の必殺技FILE』。

書名と表紙はなかなかに濃いめですが、内容はいたって真面目で親切な造りとなっています。

中国に数多ある諸門派の紹介や、動作の用法説明に加え、なぜか誤解や妄想の付きまとう(笑)中国武術の、現実的な姿が解るコラムなど、500円(552円)という価格は安いくらいの豊富な内容です。

当会も少林拳の頁に取材協力しています。コンビニでも流通しているそうなので、ぜひご近所でチェックしてみてください。

伝統武術

  • 2010/03/13 23:07
  • カテゴリー:武術

今日、練功会で皆に言ったこと。

伝統武術。
師父から伝えられたものは、一滴も漏らさず、あたかも一つの盆から次の盆に水を移すかのように、余さず受け取らなければならない。

そして受け取ったものは、また次に手渡さなければならない。技もそうであるし、精神もそう。両方揃って初めて滴水もこぼさずに伝えることが出来る。

承り、伝える。即ち伝承。伝統武術を学んでいるという事は、そういう事だ。ただ単に古いものをやっているだけではない。自分の身で受け止め、次代に伝えていく事で、はじめて価値が出てくるものだと思う。

そういう学び方を、当会の学生には知って欲しいものである。

読売文化センター荻窪・少年少林拳開講!

  • 2010/02/22 21:45
  • カテゴリー:武術

かねてより日本の子供に少林拳を普及したいと願っていましたが(こんな感じで)、この春より、読売文化センター荻窪で少林拳の少年班を開講することになりました。

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内容は伝統の中国嵩山少林拳。現地そのままの拳を、元気を、思いを伝えます。

場所はJR荻窪駅のルミネ6階の読売文化センター。時間は毎週水曜17:00~18:30。3月31日に体験講座を行い、4月7日より本講座開始の予定です。対象は小学4年生から中学生です。兄弟で参加される場合や、小学3年生くらいまででしたら相談に応じます(→センターのサイトに詳細が掲載されています)。

お問い合わせは当会もしくは読売文化センター荻窪(03-3392-8891)まで。

練功と音楽

  • 2010/02/16 00:26
  • カテゴリー:武術

以前、王宗仁師父の武館の子供達がよく唱っていた歌に、「男兒當自強」、「中国人」、「中国功夫」の3つがある。

武館の子供達は全国各地から少林武術を学びに集まってきており、出身、年齢、性別もバラバラである。しかし、この3曲は誰でも例外なく知っているので、まだ武館に来たばかりで練功に付いていけないような子でも、皆と一緒に唱うことが出来た。

そして彼らは何かの活動(武館内のイベント)の際や、練功の合間、時には馬歩站功を行いながらと、折に触れ歌を唱うのである。

時に生活を楽しくし、時に遠く離れた家を想う寂しさを紛らわし、時に練功の苦しさを忘れさせ元気を奮い起こさせ、これらの歌は武館での生活に非常に溶け込んでいたと思う。

きっと彼らが武館を卒業して故郷に帰り、社会に出た後も、これらの歌を聴けば、特別な感情をもって武館での日々や師兄弟の面影を鮮やかに思い出す事だろう。

好練功

  • 2010/01/24 23:06
  • カテゴリー:武術

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昨日と今日は、実感としてよい練功が出来たと思う。
よい練功とは、生命力が感じられる練功のことだ。

練拳不練功、到老一場空

  • 2010/01/21 00:06
  • カテゴリー:武術

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まだまだ進歩できるのにやらないのは、それはそれで罪だな。
せっかく師父やご先祖から受け取った宝物。
もっと磨いて価値を高めないと。
と思った次第。

一門の拳を豊かにするということ

  • 2010/01/11 18:15
  • カテゴリー:武術

今年は是非とも、門内での交流を、同盟会の師兄弟間で大いにやって貰いたい。この年末年始で思った事だ。


普段の練功は独り黙々と積み重ねるものであり、誰にも頼ったりする事は出来ない、孤独で地道な作業である。しかし同門の師兄弟が集った際には、その功を互いに検討、検証してこそ、はじめて拳が活きたものになってくる。なんといっても、武術は元来相手がいるのが前提のものなのだから。

隣で拳を打っている同門の動きが見ておかしかったら、「それ、ちょっと違うんでないの?」と言ってもいいと思う。そして互いにで「ああでもない、こうでもない」とやって、必要ならば実際に手を合わせて検証する。そうこうしている内に、拳はだんだんと熟成され、洗練されてくる。

「俺は師父からこう教わった」、「いやいや俺が教わったのはこうだ」。これもよし。そうやって、より深みと広さを持った技術が門内に浸透し、拳を豊かにする。自分ひとりで教わった内容が師の全てだと思ったら大間違いだ。

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  ・同門でも年代や素質が違えば拳風も異なる。
  ・要は一門の大原則を押さえていれば、それでいい訳だ。

私からすれば、逆に何人も同じ場所で練功しているのに、互いに知らんぷりでやっている方が、よほど気持ちが悪い。少なくとも自分の知る少林門は、事ある毎に同門で集まっては、拳を見せ合い、批評し合い、それが一種の娯楽というか楽しみとなっている感じがある。私自身もそういった門内の交流の中で、大いに楽しんだし、練功のヒントを沢山もらって来た。

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  ・同じ愛好を持つからこその楽しみがある

だから、同盟会の学生諸氏は、是非とも練功会では相互交流を大いにやっていって欲しい。あまり肩肘張らず、自然に、虚心に。そうやって雑多なものが入り交じっていく内に、個人の拳も豊かなものになっていくし、一門の拳もまたそうなっていくものだと思うのである。

(多謝:普段お付き合い頂いている、ある先生の書かれた一文に啓発され、常々思っていた事を自分なりに書き連ねてみた)

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