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一門の拳を豊かにするということ

  • 2010/01/11 18:15
  • カテゴリー:武術

今年は是非とも、門内での交流を、同盟会の師兄弟間で大いにやって貰いたい。この年末年始で思った事だ。


普段の練功は独り黙々と積み重ねるものであり、誰にも頼ったりする事は出来ない、孤独で地道な作業である。しかし同門の師兄弟が集った際には、その功を互いに検討、検証してこそ、はじめて拳が活きたものになってくる。なんといっても、武術は元来相手がいるのが前提のものなのだから。

隣で拳を打っている同門の動きが見ておかしかったら、「それ、ちょっと違うんでないの?」と言ってもいいと思う。そして互いにで「ああでもない、こうでもない」とやって、必要ならば実際に手を合わせて検証する。そうこうしている内に、拳はだんだんと熟成され、洗練されてくる。

「俺は師父からこう教わった」、「いやいや俺が教わったのはこうだ」。これもよし。そうやって、より深みと広さを持った技術が門内に浸透し、拳を豊かにする。自分ひとりで教わった内容が師の全てだと思ったら大間違いだ。

ファイル 89-1.jpg
  ・同門でも年代や素質が違えば拳風も異なる。
  ・要は一門の大原則を押さえていれば、それでいい訳だ。

私からすれば、逆に何人も同じ場所で練功しているのに、互いに知らんぷりでやっている方が、よほど気持ちが悪い。少なくとも自分の知る少林門は、事ある毎に同門で集まっては、拳を見せ合い、批評し合い、それが一種の娯楽というか楽しみとなっている感じがある。私自身もそういった門内の交流の中で、大いに楽しんだし、練功のヒントを沢山もらって来た。

ファイル 89-2.jpg
  ・同じ愛好を持つからこその楽しみがある

だから、同盟会の学生諸氏は、是非とも練功会では相互交流を大いにやっていって欲しい。あまり肩肘張らず、自然に、虚心に。そうやって雑多なものが入り交じっていく内に、個人の拳も豊かなものになっていくし、一門の拳もまたそうなっていくものだと思うのである。

(多謝:普段お付き合い頂いている、ある先生の書かれた一文に啓発され、常々思っていた事を自分なりに書き連ねてみた)

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