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2013年03月31日の記事は以下のとおりです。

登封紀行 2013年3月 その3

註:今回もマニアックな話題が続きます(笑)

時系列は前後して登封2日目。登封市区の東に位置する唐庄という場所に陳光栄老師をお訪ねしました。陳老師とは5年前、ほんの短い時間でしたがお会いして、七星拳の套路を見せて頂いた事があります。

ファイル 230-1.jpg

が、今回詳しくお話を伺って、今まで大きな勘違いをしていた事が判明。てっきり陳老師の武術は磨溝村(「その2」参照)で教わったものとばかり思いこんでいたのですが実はそうではなく、陳老師の師父は陳發旺という方で、なんと私の曾お爺さん先生である凌斗の弟子の一人だったのです。つまり我々と同じく凌斗を祖とする、もう一系の流れと出会った事になります。

***

ここで少し解説を入れておきます。
そもそも磨溝という土地は元代の伝説的な少林僧・緊那羅を始祖とする、登封でも有名な「武術村」の一つで、代々古伝の少林武術を護り伝えてきました。

凌斗祖師爺(1872~1954)は磨溝で岳父の范朝元に就いて武術を学び、後に少林寺村と凌斗祖師爺の実家のある凌家門(磨溝から山一つ越えた所にある)に拳を伝えました。

凌斗祖師爺の伝えた拳は基本構成は変わらないものの、磨溝のそれと比べて「大動作はより大きく、小動作はより小さく」練るという特長があります。また随所に小動作が多く含まれ、発力は爆発力が明確で、総じて緊密な印象を受けます。

また磨溝拳の核心套路である小洪拳を「長護心意門拳」と改名して伝えており、これがそのまま凌斗の伝えた門の名称ともなっています。

***

さて、思わぬ所で親戚筋に出会ったという事で、ここぞとばかりに色々なことを質問させて頂きました。

ファイル 230-2.jpg

同じ凌斗の門でも、王頂一を経て伝わったものと、陳發旺を経て伝わったものには、やはり若干の違いがあります。凌斗が弟子の特性に会わせて教え方を変えたとも考えられますし、また教わった側の重視する観点の違いから動作表現が異なっているとも考えられます。

しかし重要なのはその一門の「核心」を貫いているという事。こうして親戚筋の拳を検討する事によって、本来拳(套路)に含まれている変化の広さ・可能性を知ることが出来るわけです。

ファイル 230-3.jpg※表面上の違いはあってもやはり同じ血統を受け継いだ拳です。その実感がまた面白い。
ファイル 230-4.jpg

根ほり葉ほりの面倒な質問にも丁寧に答えてくださり、また貴重な長護心意門拳の全套まで見せて頂き有り難うございました。謝謝、陳老師!!

登封紀行 2013年3月 その2

登封市区から北東に約20Km行った山間に、磨溝という村があります。ここは私から見て曾お爺さん先生にあたる凌斗祖師爺(1872~1954)がいた土地です。凌斗祖師爺はこの磨溝村で岳父(妻の父)の范朝元に武術を学び、後にそれを少林寺村の王頂一師爺ほか、数名の弟子に伝えました。

2006年に師父に連れられて初めてこの村を訪れて以来、祖師爺の足跡を辿り、現地の拳を学びながら様々な調査を繰り返してきました。

そして今回はこれまでの集大成、失伝寸前だった磨溝陸合拳の発掘整理を遂に完了しました!

私が初めて磨溝を訪れた2006年の時点で、当地の武術はかなりの内容が失われていました。原因は伝承者の不在と、これまで伝承を護ってきた拳師達の高齢化です。

ファイル 229-1.jpg※かつて練功房だった祀堂も倒壊して久しい。

幸いな事に核心部分の小洪拳と老洪拳、そして大刀は辛うじてまだ残っていたのですが、二人で行う対打の陸合拳は、第一節から第六節までを完全に打てる人は既にいなくなっていました。

●発掘

発掘は土の中からでなく、人々の記憶から行います。

范福中老拳師を中心に、かつて范老師に就いたことのある40~50代有志が集まり、徹底的に検討を繰り返します。いずれもここ20年近く全く練習していないので、記憶はかなり断片的です。

まずは第一節から第六節までの名称を思い出します。陸合拳は重複する基本構成の上に各一節毎に特徴的な動作があって、それが各節の名称となっています。「第一節:踢一還三」、「第二節:斬子朵子」……という様にして、各節の大まかなディティールを浮かび上がらせます。

ファイル 229-2.jpg

そこからは各々が覚えている動作の断片を「ああでもない、こうでもない」と照合し、実際に何度も打ってみて感覚を思い出していきます。実際に現場にいないと解りづらいかも知れませんが、こういう時、その門派独自の「攻防に対する感性」や「リズム感」が大いに発揮されます。

ただ単に動作を繋ぐだけではいくら綺麗に攻防が成立していても、やはり感性のどこかが「気持ちが悪い」とアラームを鳴らします。

その点、范福中老師のセンスは抜群でした。「第一節はどうでしたっけ?」と問うても「忘れた、思い出せない」と仰っていたのが、我々がどうにかこうにかある程度の形にまでしたものを見て「不中!(ダメだ!)」と一喝。やにわ立ち上がり、いくつかの動作を訂正して、正に「仏像に魂を入れる」が如くでした。

ファイル 229-3.jpg

後半はこのスタイルが確立し、かなりよいペースで復元が進み、ついに「これで完成」という所までこぎ着ける事が出来ました。


実際、この復元に5年近くかかりました。これを見たある人は、「みんな近所なんだから、ぱっと集まってやればすぐ出来るだろう」と思うかも知れませんが、現地での人間関係、時間の制約、そして何よりも「機」。

思い出せと言われて思い出せるなら、どんなに簡単な事でしょう。しかしそうも行かないのが人間の記憶の難しい所でもあり、面白い所でもあります。今回は実に色々なタイミングや環境がうまく合わさって、一気に復元までいく事が出来ました。本当に協力してくれた現地のみんなに感謝です。

「100%原型と同じか」と言われれば、それは誰にも解りません。しかし限りなく100%に近い形に復元できている事は間違い有りません。今後は数年をかけて磨溝の老人達に見せて廻り、老前輩方の感性に問うてみようと思います。

そうした中でまた面白い発展もあるかも知れません。

~「その3」に続きます~

ファイル 229-4.jpg※向かって左から范三(范福中老師の息子さん)、劉振傑、范福中老師、私。

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