少林寺の銀杏
- 2016/11/08 23:17
- カテゴリー:少林ニュース
昨日は立冬。冬の訪れを感じる季節です。
少林寺心意把研究会の胡正生老師からの便りが来ました。
少林寺の銀杏はすっかり黄色くなったそうです。
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昨日は立冬。冬の訪れを感じる季節です。
少林寺心意把研究会の胡正生老師からの便りが来ました。
少林寺の銀杏はすっかり黄色くなったそうです。
鄭州少林国際少林武術節は、1991年から二年に一度行われている、少林寺地区で最大規模の観光・文化イベントです。今回は第十一回として、10月18日から22日にかけて行われています。
この度初めて、当門の源流である登封市唐庄郷磨溝村の伝統少林武術が、武術節の歓迎式典で披露されました。
取り扱いは決して大きくはなかったですが、それでも国際的なハレの場に、登封の小さな小さな武術村の拳が陽の目を見られた事は、この系に連なる者としては何よりもの喜びです!
珍しくテレビ番組の情報です。
来る8月10日(日)BS朝日の21:00~22:54で、
「カンフーの聖地へ 世界遺産 少林寺 奥田瑛二の鉄道とバスの旅」
という番組が放送されます。
私も少林寺及び少林拳関連のアドバイザーとして参与しました。
おそらくほんの少しだと思いますが、磨溝村の様子も流れます。
テレビの電波に乗るのはきっと世界初?ではないでしょうか。
乞うご期待~。
「豫見」というサイトに掲載されている少林寺のフォトグラフ。
●少林尋武記
http://henan.qq.com/news/yujian/slxwj.htm
武術学校や武僧団の様子がメインですが、写真がなかなか綺麗です。中国語の文章が解らなくても雰囲気は楽しめると思います。
▲少林寺対面の王指溝にある武術学校。練功が終わってほっと一息。夕ご飯です。通常、この後夜にも練功があります。
▲こちらは少林寺院内の斎堂(食堂)。禅宗では食事中の私語は禁止。独特の作法で感謝の意を表します。写っているのは永成師父のような……。
NHKで「中国激動怒れる民をどう収めるか~密着 紛争仲裁請負人~」という番組を放送していました。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0616/index.html
見始めてすぐ、「ああ、これは磨溝と同じだ」と感じました。
農村の土地を徴用し開発業者に売り渡す事以外に経済発展の手段を知らない地方政府。そして唯一の収入の糧であり生活の場でもある土地を奪われ、行き場のない農村住民達。双方の対立は深刻化し、各地で暴力的衝突の報道も数多く見受けられます。
番組の内容は、民間の「紛争仲裁請負人」が現地政府と住民との間に立って話し合いを繰り返し、問題の解決を図るというものでしたが、その中での地方役人の発言がこれです。
(仲裁請負人に対し)「奴らは殴っても罵っても言うことを聞かない」
「協議は一番簡単な人物から話し、面倒な者は後回しにして諦めるのを待つ」
(住民の代表に対し)「村が発展し生活が豊かになるのが嬉しくないのか?」
この数句からだけでも、お役人達の「経済優先、人間無視」に根ざした頭の中がありありと窺えます。
以前のブログでも紹介しましたが、登封の有名な「武術村」である磨溝も、同様の情況に向かって進みつつあります。
磨溝ではまだですが、同地区内でもいくつかの地域では土地の強制徴用・強制移住が始まっており、ネット上でも不満や窮状を訴える声が数多く上がってきています。
当門のご先祖様がいた村・少林拳の源流のひとつが消滅してしまうのも悔しいですが、何より実際に移住が始まってしまったら、磨溝村でお世話になったみんなの生活がどうなってしまうのかが心配です。
この文章を書きながらふと思ったのですが、
「そうなるまで現地の人も本当の事は何も解らないし、現地政府もいざその時まで解らないように情報を曖昧にしている」
これが一番恐ろしい事なのではないでしょうか。
▲磨溝の老拳師達
▲范福中老師
▲幾つもの歴史的伝説を擁する豊かな自然
▲皆で武術を語り合う
集合住宅に移住したら、こういう時間も無くなってしまうだろう
▲小麦の種まき
我が師・王宗仁が8月9日に、ナショナルジオグラフィックの取材を受けたらしい。
同誌は2011年3月号にも「揺れる少林寺の魂」として、近代化と伝統の間で揺れる少林門の現状を取材した記事を掲載しており、私も日本語版で翻訳後の内容監修等をお手伝いしました。
少林門の直面する現実問題を全面的・客観的に紹介されたとてもよい記事なので、再アップします。
http://nationalgeographic.jp/nng/magazine/1103/feature03/index.shtml
今回も取材は同じくピーター・グウィンさん。まだナショナルジオグラフィック日本語版には予告は出ていませんが、今からどんな記事になるか楽しみです。
此処でも何度か紹介した映画「新少林寺」の日本公開が、ついに決定したようです(※前エントリー)。
●予告編
●Yhoo!映画記事
http://movies.yahoo.co.jp/m2?ty=nd&id=20110701-00000034-flix
「当時30歳だった米国の教師ルロイ・デミリーは1983年に中国を再び訪れ、3カ月の期間にチベットと海南省以外のすべての省を旅した。以下の写真はその時に撮影されたものである」
●チャイナネットより
http://japanese.china.org.cn/life/txt/2011-01/31/content_21851836.htm
83年と言えば、丁度映画『少林寺』が公開された次の年、中国全土で少林寺ブームが巻き起こったまさにその時期です。まだ少林寺門山町の参道は舗装されておらず、境内の鐘楼や鼓楼なども1928年に破壊されたまま再建されていません。
今は世界遺産にも登録され随分と雰囲気が違いますが、私が高校生の時に初めて少林寺を訪れた時もおおよそこんな感じでしたので、何とも懐かしく思えます。
セブンカルチャークラブ武蔵境(イトーヨーカドー武蔵境店内)にて、4月6日より小中学生のための少林拳講座を開講します。
日時は毎週水曜、16:40~18:00です。
それに先立ち、3月16日(水)と3月23日(水)の二回、体験講座を行います。
受講申し込み、お問い合わせは、セブンカルチャークラブ武蔵境店へお問い合わせ下さい。
http://www.7cn.co.jp/7cn/culture/7cc/school/musashisakai/index.html
2010年8月1日、中国国営新華社通信によると、国連教育科学文化機関(ユネスコ)はブラジルで開かれた世界遺産委員会で、河南省登封の少林寺などを含む歴史建築群「天地之中」の世界遺産への登録を決めたと発表した。
記事によると、今回、世界遺産への登録が決まったのは、計11の古代建築群。うち、東漢時代に建てられた「少室闕」「啓母闕」は中国最古の祭祀を行う礼制建物で、「中岳廟」「太室闕」は中国の古代礼制建物の代表格。「周公測景台」「観星台」は中国に現存する最古の天文台で、「嵩陽書院」は中国で最も早く儒教を広めた書院である。
古代中国人の宇宙観は、中国は天地の中央に位置する国で、天地の中心は中国中原の河南省鄭州、登封一帯と考えられてきた。そのため、この一帯は早くから王朝が立てられ、中国文明や文化の中心として栄えてきた。
同建築群は昨年も世界遺産への登録を申請したが、「追加資料を提出して再審議」にとどまっていた。中国の世界遺産はこれで39か所となった。うち文化遺産が28か所、自然遺産が7か所、複合遺産が4か所となっている。
【レコードチャイナより転載】
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=44239&type=1
ついにというか、やっとと言った感じです。記事によると2001年から申請活動を始めたとの事ですから、9年越しの世界遺産入りという訳です。
師父の武館も元々は少林寺村の東にありましたが、少林寺地区全域の大規模な区画整理に伴い、2002年に登封に引っ越してきました。師父の所だけでなく、少林寺村東西数キロの武館、商店、農家など、とにかく何もかにもがどんどん取り壊され、瓦礫の山と変わっていったのが印象に残っています。
続いて2004年あたりから少林寺も大々的に改修工事が行われ、殆どの建物が新しく立て直されました。この頃になってしきりに世界遺産申請の話を耳にするようになりましたが、その時には「新しく造って何が遺産なんだ」と呆れたものです。
それはさておき、少林寺を含む登封一帯は本当に文化遺産の宝庫です。上の記事の通り、宗教・学問・政治の中心であり、「登封」という地名からして、中国の歴史上唯一人の女帝として有名な武則天が、中岳に登って封禅の儀式(天に皇帝として即位することを報告する儀式)を行った事に由来しています。
また最近のニュースによると、登封にある法王寺で平安時代の僧、円仁(慈覚大師、794~864)とみられる名前の刻まれた石板が発見されたそうです(●ニュース詳細)。
今まで私も武術ばかりで、登封に居てもあまり地元の文物に触れる機会がありませんでしたが、これを機に少しずつでも訪ねて見てみようかなと思っています。何だか取り留めのないコメントになりましたが、まあ世界遺産リスト入りはめでたいかなという事で。
そういえば少林功夫の方は「世界無形遺産」に申請作業中との事です。しっかり審査して、こちらは勝手に新しい套路を造ったり改変したりせず、昔ながらのものを厳密に保存していって欲しいなあと願っています。「武術ショー」や「武術風体操競技」みたいなものでなく、登封・少林寺地域に昔から伝わっているものをです。