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こちらは少林拳同盟会の旧ブログです。
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2017年10月13日の記事は以下のとおりです。

2017年少林之行(2)

●9月13日 夕方~夜

 凌戦勝老師にお別れを告げ、登封行きのバスに乗った時点で、心地よい充実感と共に私の頭の中では既にエンディングテーマが流れていました。「もうこの旅はこれでお終い」な気分です(笑)。

 しかし、今回のメインイベントは何と言っても師父の息子・王鵬挙の結婚式であり、またそれを機に集まった79年から2000年までの師兄弟大集合大会が主たる目的です。勝手に終了する訳にもいきません。特に師兄弟達はもう何ヶも前から微信(中国版ライン)でこの日の来るのを楽しみに毎日盛り上がっていましたから。

 かくして私も13日の夕方に登封に着き、師父と再会を果たしたのもそこそこに、早速師兄弟の宴に駆り出されるのでした。折しも15日に行う王鵬挙の婚礼に先立ち、師兄弟はこの日(13日)を目安に全国各地から続々と到着して来ていました。ですのでこの晩の宴はいきなり大きな盛り上がりを見せていました。

 少林寺の武館で過ごした日々は、実際に過ごした人にしか解りません。特別な空間で重ねられた日々の苦しい練功と生活。当時は皆15,16歳の子供でした。その後それぞれ故郷に帰り仕事に就き、今では立派に自分の商売を持つ「老板(社長)」になっての再会。しかし20年、30年の月日はあっという間に消失し、あの武館での青春の日々が蘇ります.。学んだ年代が違う師兄弟は挨拶を交わし、同年代の師兄弟は抱擁を交わし、私もそれに混じって挨拶をして廻ります。それにしても師兄達はよく飲みます。やはり鍛え方が違うのだと思いました。

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▲伝説の少林寺南沼溝宗仁武館。皆精悍な面持ちです。

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▲再会を喜び合う師兄弟。会えばあっという間に青春時代が蘇ります。

 宴は9時頃に終わりましたが、師兄達はその後登封の夜市に繰り出し旧交を温め、さらに宿に戻ってからも3時位まで飲み明かしたようです。ちなみに私は師父とお茶を飲んで、10時頃には宿の自室に戻っていました。12時頃にノックがあり「サトシ?」と声がありましたが、明日の練功もあるので謹んでスルー致しました。

●9月14日 朝~午後

 前日の宴を無事乗り切り、どうにか朝6時前に起きて朝練に行きました。幸い昨日の酒は残っておらず動きも快調。気持ちよく汗を流しました。これから滞在中、本格的な練功はほとんど出来ないだろうけれど、朝の練功だけは毎日堅持しようと心に決めました。練功していると師父が下りて来ました。続々と登封に到着する徒弟やお客さんを迎えたり、婚礼の準備などで忙しいはずなのに、わざわざ来て下さった師父に感謝です。

 朝ご飯を食べ、一旦宿に戻り考えました。このままこの辺りをウロウロしていたら、絶対に昼にはまた宴会に捕まってしまう。そこで一計、磨溝を訪れる事に決めました。磨溝は凌斗祖師爺、つまり私の師父の師父の師父が居た場所。そこには古い時代の少林拳が今でも細々とですが残っています。今回はいつも一緒に行ってくれる地元拳師の劉振傑が西安に仕事に行っているというのが事前にわかっていた為、磨溝行きは諦めていたのですが、義侠の士・王戦備同志が連れて行ってくれる事になりました。

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▲磨溝への途中、数年前に『功夫少林』の撮影で訪れた関帝廟に寄りました。廟主のお婆ちゃんも変わらずお元気そうでした。

 磨溝に着いたら何はともあれ范福中老師のお宅へ。伺った時は11時前で、范老師は離れの厨房でマントウを作っている最中でした。ひと目私を見て「おお、賢!」と出迎えてくださった范老師。少しお歳を召されたかなとも思いましたが元気そうです。

 ひとしきり近況報告をした後は、いつもの通り「打ってみろ」です。范老師の前で磨溝の小洪拳と老洪拳を打ちます。小洪拳はそれほど大きな問題はなく合格。しかし老洪拳は打ち始めて半分も行かない内に「不中!(ダメだ!)」、「不対!(違う!)」との厳しいダメ出し。王宗仁師父は全体を見た後、いくつかを直す教え方ですが、范老師の場合はダメな所は即ダメ。OKが出るまで何度でもやり直しです。お手本を見せて下さる范老師の動きにも、先ほど「お歳を召された」と感じたのは何だったのだろう、と思う位に動きにみるみる切れと力がみなぎってきます。

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 范福中老師の拳は、先記した凌斗祖師爺が学んだ磨溝の拳です。凌斗は元々磨溝から山一つ隔てた凌家門の出ですが、結婚後に岳父(妻の父=義父)で磨溝の著名拳師である范朝元について拳を学び大成しました。功成った後は少林寺の塔溝村で王頂一師爺(私の師父の師父)はじめ数名に拳を伝え、また故郷の凌家門にもその精華を遺しました。ですので私にとって磨溝の拳を学ぶ事は凌斗祖師爺の足跡を辿るのに非常に重要な位置を占めているのです。

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 范福中老師の前では決して手抜きや手加減は許されません。一つ一つの動作が完全に人を打つ作用のあるものでないと「意味がない」と言われます。老拳師の教えは毎回非常に厳しいものですが、今の自分にとってこの厳しさは真に嬉しいものでもあります。范福中老師の拳風は正に河南の大地の風格そのもの。素朴で厳しい中に大らかさを備えています。私は王宗仁師父に就いて以来10年門を出ず、少林寺のどんな高名な拳師にお会いしても決して教えを受ける事はありませんでしたが、この范福中老師の拳だけは時間の許す限りきちんと教わり後々に伝えていきたいと思っていますし、また師父もそれを支持してくださっています。

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 范福中老師のお宅で短時間ながらもみっちり練功した後は、磨溝の村を散策して廻りました。磨溝には古い時代の山砦や寺廟、様々な伝説を持つ遺構などが数多く遺されています。今回偶然(?)同行する事になった登封市文化局を定年退職された宋溧珉老師も「もっと早くに来るべきだった」とあちこち写真に収めておられました。

 磨溝を歩くとあちこちに、「おや?」と思う美しい風景が点在しています。この村の風景も、村の拳も、これから時代の変化に従って緩やかに失われていくのかと思うと遣り切れない思いがあります。せめて出来る形でこれらの文化遺産を記録していければと思いつつ、磨溝を後にしました。

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