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カテゴリー「中国での活動」の検索結果は以下のとおりです。

新たな出会い

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少林寺心意把研究会・胡正生老師と。

今回の訪中前より微信(中国版LINEの様なもの)で連絡を取り合い、
登封に着いてから彼の武館を訪ねました。

胡老師は有名な揚桂吾老師の関門弟子(最後の弟子)。
伝統少林武術の発掘・保存に並々ならぬ熱意と高い見識を持つ、気鋭の青年拳師です。

まず始めに「伝統少林拳とは」という所から始まり、発掘・保存していく作業の
難しさ、個人での力量や時間の制限、そして普及していく為、現実に生活していく
為にやらなければならない事の煩雑さ等々。

お互いの理想や現実的に直面する問題を心ゆくまで話し合うことが出来、
全くの初対面であるのにそんな感じはちっともせず、
却って旧知の友人と談義しているような感覚さえ覚えました。

今まで毎回登封で会うのは70~80歳以上の老拳師ばかりで、
さながら「おじいちゃんを訪ねる旅」のよう。
(もちろんおじいちゃん大好きである私は、今回も沢山の老拳師の方々とお会いし、
多くの貴重な学びを頂きました)

今回のように同年代の、しかも同じ視点で語り合える人物と会ったのは
本当に初めてです。それはとても心躍る出来事であったと同時に、
今後の実際的な発展にも大いに期待を出来るものであるという
確かな手応えを持つことが出来ました。

彼とは今後永らく伝統少林拳の発掘・保存・伝承の仕事を共同して
やっていける事を願っています。

2015年3月の登封

昨日、登封・少林寺から帰ってきました。
今回はまた色々と転機となる鍵と出会いました。

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登封での生活 その3

登封滞在最終日の午前中。王宗仁師父に連れられて、登封西南の大金店書堂溝村を訪ねました。行き先は郝釋斎老師のお宅。

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3月16日午後。少林寺大居士・郝釋斎老師が高速道路での事故に遭い、お亡くなりになりました。

郝釋斎老師は1930年生まれ。登封県大金店郷書堂溝村の人。幼い頃より信心深い両親の影響を受け、仏教に深く帰依した他、少林寺の武と医を善く修め、人に「少林活拳譜」と称されました。

少林寺の大居士として、寺の困難な時期には日に陰に援助を惜しまず、現方丈の永信和尚を少林寺に招き入れ行正法師に引き合わせたのも、郝釋斎老師だったと言われています。

また少林寺や民間から学んだ中医学を活かし、患者を診察しては一銭も受け取らず、多くの困難な人の命を救った事は、現地でも有名で人々の尊敬を集めていました。

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今までご縁に恵まれはしませんでしたが、いつかお会いしたいと思っていました。しかしまさか初めての対面が、お別れの一回になってしまおうとは。人の一生とは本当に、先の見えないものだとつくづく感じました。

集まった誰もが「意外の事」という言葉を異口同音に口していたように。

ご子息が「身体に特に病気もなく、健康そのものだった。毎週末には必ず嵩山に登ったし、山登りは自分なんか追いつけないくらい速かった」、「このままなら108歳までだって活きられると思っていたのに……」と言ったように。

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帰りの道中で師父が「郝釋斎老師から直接何かを教わった事はないが、老師の人柄からは自分も少なからぬ影響を受けていた」と仰っていました。

郝釋斎老師が逝ってしまった事により失われたものは計り知れませんが、また残していってくれたものも、同様かそれ以上に多くあるのではないかと思います。自分も先達に恥じぬよう、また後輩に恥じぬよう、現在を大切に生きていかねばなりません。

郝釋斎老師、安らかにお休み下さい。

登封での生活 その2

師父は現在、少林寺院内で技術顧問のようなお仕事をされています。

少林武術は院内武僧の伝えるのみにあらず。永信方丈も現地の民間伝統少林拳の重要を十二分に知っておられるからこそ、師父を招いて顧問に任じているのでしょう。

そんな訳で私も滞在中に二度ほど、師父に同伴して少林寺に行って来ました。
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現在少林寺では、CCTV(中国中央電視台=日本のNHKのようなもの)制作によるドキュメンタリー「功夫少林」の撮影が進められています。

過去にも少林寺・少林拳を題材にした番組は数多く作られてきましたが、そのいずれもが表演もしくはショー化した少林拳、所謂一般にみんなが思い浮かべる飛んだり跳ねたりの少林拳を紹介するに留まるものばかりでした。

しかし今回は、これまでとはひと味もふた味も違った気運が感じられます。まだ詳細は明らかに出来ませんが、取材対象をざっと挙げただけでも、登封の錚々たる民間伝統拳師の名前がずらり。そっち方面の人には正に垂涎ものです(笑)。

ディレクター氏も「この番組は従来のものとは違う。伝統の少林拳とその精神に焦点を絞ったドキュメンタリーだ」と強調されていました。
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この制作チーム、見た感じ私と同年代のメンバーを中心に構成されており、非常に活発で柔軟性に富んでいます。今回帰りの北京でも、別のディレクターにお会いしましたが、彼女は前日まで武当山に取材に行っていたとの事。やはりこの番組制作に対する熱い想いを語ってくれました。

中国の国営放送というと何だか恐ろしいイメージが先行しますが、制作の現場では我々とそんなに変わらない、ごく普通の感覚を持った若い人たちが活躍しているのを知って、ちょっとほっとした気持ちになりました。

登封での生活 その1

登封から帰りました。

今回の登封はよかったです。腰を据えてじっくりと、生活と練功を満喫出来ました。

だんだん日本での練功と、中国での練功の境がなくなりつつある気がします。やるべき事を、淡々と積み重ねる。そしてたまに脱線を楽しむ。そんな感じです。もちろん、まだこの先の野望も捨ててはいません。


滞在中は毎朝師父に就いての練功を基本としていました。内容は長護心意門拳、七星拳、心意把と功法、それと大刀。毎日これだけは欠かさない日課だったので、じっくりと贅沢に時間を掛けて練りました。特に何か新しい内容を教わらなくとも、いちいちに具体的なアドバイスを受けなくとも、師父の動きや節奏、空気感を毎日肌で感じながら練功するだけで、よいものが身体に入ってくる実感があり大変充実した時間でした。
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磨溝村では去年に発掘整理がひと区切りした陸合拳について、劉振傑教練と共に范富中老師のお宅にお邪魔して、全套について検定して頂きました。結果、去年までに整理した分で殆ど誤りがない事が確認でき、また劉教練との対練もかなりスムーズになったので安心安定して気持ちよく打てるようになってきました。范老師は来年80歳、今年は益々お元気で拳風に勢いがありました。
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呉鳳高老師には炮拳の動作と動作名称について総ざらいをして頂いた他、行書伝の心意把、それと「これはお前への贈り物だ」と十字閃身と眼功、二つの功法をご教授頂きました。呉老師は登封の武術界に詳しい他、各種理論にも精通しておられます。貴重なお話しや実技を含め、午前中にお邪魔して正午までの三時間以上があっという間に過ぎて行きました。
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帰りましたが

登封から帰ってきたのですが、雑務がたまってなかなかレポートが書けません~。

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来週頭には頑張ってアップします!
多分。

今北京

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今北京駅前のお粥やさんで、夜行列車の時間までのんびり待っています。

駄目元でお店のWi-Fiに接続してみたら思いがけず認証通っちゃいました。最近は中国も無線網(Wi-Fi)が繋がる所が出てきて助かります。

明日の午前には登封に着いて師父とお会い出来ます。存分に練功出来る環境、楽しみです!

訪中準備

今度の日曜日(16日)から9日間、中国・登封に行って来ます。
なのですが、日常業務と家事の合間での準備はなかなか捗らず……、結局いつも通り直前数日になって、やっとこばたばた始める事に。

しばらく不在にするので昨日は子供を連れてちょっと遠出。東大和のイオンモールまで行ってみました。

予想以上に広く訳が分からなくなり、結局玩具売場と紳士服売場、それとフードコートだけ廻って帰ってきました。田舎者の私には広すぎます(笑)。
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今日は師父や老師たちへのお土産購入。練功会の皆さんの智慧を拝借し、「柿山」の煎餅に決めました。いつもお土産のチョイスには悩むのですが(20年近く、毎年2回ずつ行っていればネタも尽きます)、今回は皆さんのお陰でバシっと気持ちよく決まりました。いくつか単品で買って、家でも食べてみましたが美味しかったです。
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そうそう、火曜日の中岳健身会では、紹興酒「女児紅」を頂いてしまいました。中国では女の子が生まれた時に酒を庭などに埋めて、その子が結婚する歳に掘り出して持たせるという習慣があり、このお酒はそこから名前が付いています。

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これから私が行く河南省はどちらかというと北方文化圏。北方ではお酒は白酒を多く飲みます。紹興酒は南方のお酒。なので、これは帰国してからゆっくりと頂くことにします!

さて、またこれから荷造りの続きです。

2013年10月 少林寺・登封研修旅行 その4

●少林寺と達磨洞

登封滞在最終日の前日、少林寺と達磨洞へ行って来ました。

残念ながら少林寺の永成師父は普陀山(浙江省にある仏教名山のひとつ)で行われる法会にお出かけのためいらっしゃいませんでした。

その分午前午後と、ここ数年ない位に時間を掛けて達磨洞・塔林・少林寺を巡る事ができました。これもひとつのご縁という事です。

達磨洞。
言うまでもなく禅宗初祖達磨大師が面壁九年を行ったとされる場所です。少林寺裏手の初祖庵から1.2キロメートル。小一時間もあれば往復出来ますが、急勾配の階段を登っていくので結構に疲れます。

こんな場所で九年も坐禅を続けた達磨も偉大ですが、師父に食物や必要な品を届けるため、日に何度も上り下りしたであろう弟子の慧可(後に達磨の衣鉢を継いで禅宗二祖となります)の苦労も忍ばれるというものです。
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塔林。
少林寺の歴代高僧が眠る場所です。唐代から建てられ始め、232座が現存しています。年代や埋葬される僧の功績度によって様々な様式・規模の塔が文字通り林の如く立ち並んでいます。

今回少林寺を廻った内で、私個人としては一番雰囲気のよかったと感じた場所でした。
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少林寺伽藍。
我々武術をやる者の見所と言えば、少林武術の守護神である緊那羅さまを奉った緊那羅殿、歴代武僧の練功の足跡がある千仏殿、清代の壁画が残る白衣殿などがあります。

それとあまり知られていませんが、方丈室の前に掛けられている鐘には日本からの留学僧で少林寺書記を経て首座にまでなった邵元和尚の撰による碑文が刻まれています。

今は日中関係もまだまだ冷えていますが、過去にはこうした文化的な交流が深かった事を、忘れてはならないと思います。
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2013年10月 少林寺・登封研修旅行 その3

●老拳師方との交流

滞在中は王宗仁師父に就いて練功をする他、現地の老拳師方とお会いする機会にも恵まれました。

陳光栄老師。
凌斗祖師爺から枝分かれした、もうひとつの「長護心意門」を受け継いでおられます。門内の輩分では、王宗仁師父と従兄弟の親戚関係にあたります。
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凌鉄橋老師。
磨溝村の出身ですが、10数年前に登封に移住しておられたので、お会いするのは今回が初めてでした。既に磨溝では失伝した思われていた關西拳の全六節を保持されている事が解り、今回幸運にもそれを収録・検討することが出来ました。
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呉鳳高老師。
今回学生達は小洪拳と炮拳、そして小武功の教えを受ける事が出来ました。御歳82歳の呉老師が見せる動きの速度・節奏に、学生達も大変驚いていました。
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私個人としては、初めて刁卿俊(民国期の少林寺還俗僧・法号は釋行書)直伝の心意把を拝見し、重要な秘訣を教えて頂くことが出来たのが大きな収穫でした。

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