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カテゴリー「中国での活動」の検索結果は以下のとおりです。

2011年 中国(登封)研修旅行 その6

●10月27日 「宋双平武館」

宋双平の武館は少林寺門前町より東に約5キロ、少林水庫(ダム)対面の山中にある。

我々が武館に到着したのは午後3時。丁度武館の学生達は午後の練功を開始し、ランニングに出掛けていた時だった。しばし久しぶりの再会に近況報告や、当方の生徒達を紹介などし、その後武館の練功場所に移動して、学生達の練功を拝見した。

まずは春秋大刀。大刀を演武してくれた学生は、始めてまだ数ヶ月だというのに、身法と刀法の協調がなかなかよく出来ている。下半身もよく安定して、足運びもスムーズだ。

次に見せてくれたのは縄鏢。これは宋双平武館十八番の兵器である。この武器は縄の先に鉄の尖ったクサビが付いている。通常の武器と違って縄でコントロールするものなので、手さばきと、何よりも身法(体さばき)が巧くできないと、自分で自分を傷つける事になる。

その後いくつかの演武があり、最後は宋双平の石鎖。これも彼の十八番中の十八番。20キロ近くある石鎖を実に巧くコントロールし、様々な動作を見せてくれる。

日本ではもとより、中国でもなかなか本物を目にする機会のない武器や功法を見て、当門の生徒達も大喜び。演武が終わった後の石鎖を実際に持ち上げてみたりして、「真の功夫」というものを体感する事ができたようだった。

そして幸運なことに短時間ではあるが、生徒達は宋双平より縄鏢の手ほどきを受けることが出来た。常日頃扱っている棍と違って、なかなか思うように操れないが、ちょっと目先が変わって非常に興味をそそられた様子だった。懇切丁寧な指導で各人2,3の基本動作を覚えることが出来た。この縄鏢については扱えるととても楽しいものなので、いずれ日本でも集中講習会を開いて普及したいと思っている。

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更に演武が終わって室内で歓談していると、二人のご老人が訪ねて来られた。いずれもお名前を伺う機会を逃してしまったが、その内のお一人は出家の方で、山中に住んで鍼灸の名人であると双平が教えてくれた。話が進むうち、場の流れで大刀を披露して下さる事となり、再び外に出て皆で拝見した。とても80過ぎとは思えない、迫力のある動き。見たことのない大刀の套路だったが、非常に原始的、実用的な刀さばきが印象的であった。

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これで俄然場が盛り上がった所に、宋双平が大刀を持って再登場。この大刀がまた常識外れで、大体50~60キロある代物である。ちなみに当門の生徒が試しに持ってみた所、大刀を縦に立てて支えているのがやっとの状態であった。これを使って廻す、斬る、突く等、大刀の動作を一式一式行い、終わった後は息も乱れず、汗もかかない。全く「凄い人物は居るものだ、しかも身近に」と改めて実感した。

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こうして楽しい交流の時間はあっという間に過ぎ、外は真っ暗になった頃、我々は武館を後にし、登封市区へ向かった。今晩は登封滞在最後の夜。師父と師兄弟との宴が待っていた。

2011年 中国(登封)研修旅行 その5

●10月26日(午後) 「釋永成師父」

少林寺は登封市区からバスで約30分。言わずと知れた、禅と少林武術の発祥地である。今回、初中国のメンバーにとってはこの少林寺参拝は大きな目的の一つであるから、当然彼らの興奮度は目に見えて解る程だ。

少林寺門前町の入り口で、永成師父に電話を掛ける。よかった、師父は寺にいらっしゃる。以前何度か伺った時には御用で留守だったり、またお身体を悪くされて入院されていてお会いできなかった事もあり、こればかりは何とも御縁なのだから仕方がないと思っている。

少林寺山門をくぐり、蔵経閣の東側にある小さな通用口から僧坊に入る。ここからは通常の観光客は入って来ない、寺僧のプライベートなスペースである。

前回お会いしたのが2008年だから、3年振りだ。果たして、師父は変わらずの笑顔で我々を迎え入れてくれた。師父は皆を座らせると、早速お湯を沸かす。そうして我々は美味しいお茶を頂きながら、しばしお話を伺った。

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永成師父との雑談(「雑談」と言っていいのかは解らないが)は楽しい。ごくごく普通の世間話をしている中にふと、どきっとさせられたり、笑わされたり、考えさせられたり。そして師父のこの笑顔だ。なんとも表現の仕様がないが、敢えて言えば「寒山拾得」を彷彿とさせる独特の笑顔。同行した一人が言っていた「うふふ」という表現がぴったりだ。

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不肖の弟子である私には仏法の何たるかは解らないが、きっと「禅者」とはこういう人の事を言うんだろうな、と解らないなりに思う。日本にいるときに生徒からしばしば「先生は少林寺のお師匠様に何を教わっているんですか」と質問を受ける。だが実際の所、参禅(坐禅)する訳でもなく、説法を受けるでもなく。ただ師父との何気ない会話と笑顔が好きで、機会の有る毎にお訪ねしている次第である。

今回のメンバーにも「行って会えば解るよ」と言ってここまで来たが、どうだろう。まあ「解ったような、解らないような」が禅なのだから(本当にそうなのか?)、それでいいんだろう。

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2011年 中国(登封)研修旅行 その4

●10月26日(午前) 「呉風高老師」

この日は午前中、呉風高老師に就いて小武功と炮拳を学んだ。場所は迎仙閣公園。

呉老師はかつて王頂一師爺にも学んだことがある方で、また王宗仁師父の小洪拳、炮拳は呉老師の指点による所が大きい事から、2008年の春節にお会いして以来、主に炮拳を中心に教えを受けている。

呉老師の炮拳は、動きがコンパクトで切れ味が鋭い。また、元々エンジニアだったという職業柄か、とても几帳面なお人柄であり、拳の式もひとつひとつが非常に正確できちっとされている。指導の方面も然りで、ひとつの套路を講ずるにも套路の動作、理論、用法と実に丁寧で細やかであった。

小武功は主に呼吸や意念、感覚を練る功法だが、下盤(足腰)の根っこを強くするのにも適した優れもの。今回、参加メンバーの中で功法の学習を希望する人がいたので、呉老師に特にお願いしてご教授頂いた。

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ところで今回改めて伺った所、呉老師は御歳八十になられるとの事。とてもそうは見えない。そして身なりはいつでもこぎれいのこざっぱり。ステキな老拳師なのだ。意義深い練功の後、昼食をご一緒し、お宅までお送りしてお別れした。そして我々はその足で午後の目的地、少林寺へ向かった。

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2011年 中国(登封)研修旅行 その3

●10月25日 「磨溝村」

朝の練功を終え、朝食を済ませるとすぐに磨溝に向けて出発。

磨溝は、少林寺の膝元である登封でも名の知れた武術村。俗に「匪賊、盗賊も避けて通る」と言われた程、武術の盛んな土地で、元代の少林僧・緊那羅が伝えたという貴重な古流の少林武術を残している。

当門祖師の凌斗はこの磨溝にて、岳父(妻の父)の范朝元より拳術及び兵器を学び、後に少林寺村にて教場を開いたという、いわば当門に於ける「拳の故郷」である。

▼磨溝へと続く道。去年までは舗装のない土の道だった。
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磨溝についてすぐさま、范福中老師のお宅に伺う。范福中老師は磨溝拳師の長老格で、新中国成立前の混乱期を、実際に武術をもって自身と家族を護り生き抜いてきた、拳の生ける証人である。

まず始めに私自身が、范老師より磨溝小洪拳、老洪拳及び陸合拳の手直しを受け、続いて今回初めて磨溝を訪れた当会の生徒達が范老師の前で拳を打ち、それぞれにアドバイスを頂いた。范福中老師のアドバイスは単なる形や順番の正誤ではなく、「勢」や「意」、そして「法」といった、武術の根底に共通して流れる「精華」とも言える部分を専ら強調されていたように思う。

▼范福中老師より、磨溝六合拳の教えを受ける。
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▼動作を示す時の一瞬の眼光。
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午後は生徒達が劉振傑老師に就いて、磨溝拳のひとつである雲陽拳を学習した。教えてくれた劉振傑老師は、私が6年前、師父に連れられて磨溝を訪ねた時、一番初めに知り合った村の拳師で、この世代ではトップクラスの実力者である。

実際、当会の生徒らが磨溝の拳を学ぶのは初めてである。今まで学んだ通臂拳、小洪拳、炮拳と言った少林寺院内系列の拳とはまた違った風格に、最初少し戸惑っていた感もあった。が、そんな些細な感覚はすぐに消えてしまう。劉老師の指導はとにかく熱心である。一拳一脚が全力投球。適当とか妥協とか云うものは一切なし。こちらで曖昧な動作をしていると、遙かあちらから「不、不、不!」と言って駆け寄り、すぐさま修正を施す。おかげで数時間はあっという間に過ぎ、全員が一応套路の順番を覚える所まで行ってしまった。

▼劉振傑老師の熱血指導。
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生徒の誰だったかが「普通にしていると車を運転している普通の人なのに、動き始めると全然違うんですね。格好いいです」と言っていたが、磨溝の武術は正にその通り。范福中老師も今では引退したものの、元々は農業を行っていたし、劉振傑老師も畜産を生業としており、職業的な武術家という訳ではない。

決まった学校や組織がある訳でもなく、ごく当たり前に村の中で代々伝わってきたもの。それは有事には村を護る自衛の手段となるし、平和な時には皆で集まって拳を披露したり、論じ合ったりする娯楽の側面も持っている。実際、磨溝で拳を打っていると、いつの間にか人が集まってきて「ああでもない」、「こうでもない」と論評が始まる。中には隠れた達人も混じっていたりして、思いがけず貴重な教えを受けたりする事もある。

私自身、こういった生活に溶け込んだ武術の練り方が大好きであるし、この磨溝の土地も人も本当に好きである。今回、初めて当会の生徒達を磨溝に連れてくることが出来、よかったと思う。ぜひとも帰った後、日本の同門達にもこの村や拳の雰囲気を伝えてあげて欲しいと願う。

▼范福中老師(向かって右)と劉振傑老師(左)。
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2011年 中国(登封)研修旅行 その2

●10月23日、24日 「全国武術少林拳比賽」

登封に着いたその当日、「全国武術少林拳比賽」があり、午後には師父も老年組に長護心意門拳で出場するとの事。本来はこの大会、10月12日に開催の予定であったのだが、諸々の理由により今日まで遅れたのだそうだ。何という幸運。

昼食後、早速大会会場である鄭州大学体育学院へ。正直、若い世代の拳は殆ど全てが現代化された表演(競技式)少林拳で、今さら見るものはないと余り期待していなかったのだが、それはそれで少年少女のきびきびと元気溢れる演武は表演、伝統に関係なく、清々しく気持ちのよいものであった。

その中でも一部、地元登封から伝統少林拳師の参加もあった。王宗仁師父は拳術では長護心意門拳、兵器では春秋大刀を打ち、梁継紅老師は家藝の太祖長拳、王志強師兄は眉斉棍を演武し、いずれも表演少林拳とはひと味違う、玄人好みする堅実な功夫で観客や他の参加者達を唸らせた。その他に磨溝(当門の故郷)と対をなす登封の「武術村」である阮村の拳師も、関東拳、心意拳、双草鎌、陸合棍と、普段滅多に目にする事のない古伝少林拳を披露し、少林拳の発祥地たる面目を保った。

日本にいる時、常々「伝統少林拳と表演少林拳」の事を生徒達に話していたが、正直こういうものは実際に見て体感しないと腑に落ちないというか、実感が出来ないと思う。しかしこうして同じ場所で伝統と表演両方が同時に見られると、それぞれの違いというものがよく解ったのではないだろうか。双方の違いが解って始めて、自分のやっているものの貴重さが解るし、同時に他方の良さや意義も見えてくるものなのだと思う。

そして何より、通常ではまず見ることの出来ない師爺の試合姿を、生徒達に見せられたのは何とも幸運な事であった。超ハイレベルの功夫を目の当たりにした生徒達の、その後の登封での練功に俄然熱が入ったのは言うまでもない。


王宗仁師父。拳術、兵器共に最高得点を出して一位を得た。
写真は最終日、閉幕式での模範演武。
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登封の伝統拳師達。左から王占洋老師、王宗仁師父、
梁以全老師、王志強師兄、梁継紅老師。
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試合会場からの帰りに乗った三輪バイク。8人乗った。
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2011年 中国(登封)研修旅行 その1

●10月22日 「出発」

5月から準備を重ねた今回の研修旅行のいよいよ第一日目。今回は幸運にも羽田8:30発の便が取れた。早い時間の便なので、参加者は各々4時前後に起きで始発に乗って集合したとの事。こちらは引率者の手前、絶対に遅刻は許されないので前日から近場のビジネスホテルに泊まって、羽田へ。

定刻通りのフライトで、現地時間11:55に北京着。名古屋出発組も程なくして合流。当日の夜行列車チケットを空港で受け取る予定だったのだが、電話をしたら「忘れてた」との事。市内で会って受け取ることに。この辺りは想定の範囲内。

北京→鄭州の夜行は21:20発。時間があるので、故宮(紫禁城)見学に。ところが移動や、列車チケットの受け取り、荷物の一時預け等々、途中で結構時間を食ってしまい、結果かなり駆け足で駆け抜けることになってしまったのがちと残念。しかも入り口とは違う門から出て、そこからタクシーに乗ろうと思っていたら、全然タクシーはつかまらず、結局広大な故宮の外堀を延々と回り道する事に。参加者の顔に疲労の色が見え、申し訳なく思う。

それでもどうにか夕食を済ませ、北京西駅から鄭州行きの夜行列車に乗り込む。寝台列車の寝心地については、参加者の感想はバラバラ。個人的には、夜行の旅はキライではない。列車にガタゴト揺られて眠り、夜中にふと目が覚めると見知らぬ駅に停車している。その雰囲気が、いかにも旅情があってよろしいと思う。

翌朝。5時過ぎに鄭州着。駅前の食堂で朝食をとり、そこから高速バスで一時間半。やっとこ目的地である少林寺の麓・登封に到着した。

宿に登記し、荷解きもそこそこに王宗仁師父を宿にお迎えする。参加者一同集合し、師爺と初対面(内二人は二回目、三回目)。伝説の大拳師を前に、皆どんな印象を覚えただろうか。

さて、これからが研修旅行本番である。

天安門前にて。
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霧にけむる故宮外堀。
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列車の待合室。この時は空いていたが、乗車直前は大変な混雑に。
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訪中直前

いよいよ明々後日、北京に向けて出発です。朝8:30羽田発で昼には北京首都国際空港に着き、午後は故宮を見学。その後、夜行列車に乗って鄭州に向かいます。

参加者の皆も今週は準備やら、長期休暇のための仕事の片づけなど、色々と忙しくしている模様。

こちらは鄭州→北京の帰りの列車情況を現地に最終確認したところ……、何? 帰りの列車チケットが取れてない?! 予備で候補にしておいた別の列車も売り切れ?

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何でも丁度鄭州で大きな会議があり、前後数日の列車情況は非常に厳しいとのこと。鄭州は全国の列車が集まる中心駅なので、全国もしくは国際的な会議や博覧会がよく開かれるのです。

しかしそんな理由で北京まで戻れないのは困ります。期日までに北京に帰れない=帰国の飛行機に乗れない。外国を旅するのにハプニングは付き物。それも旅の醍醐味というか楽しみのひとつではありますが、この情況は全然楽しくありません。

急いで対象とする列車および座席のクラスの範囲を広げ、現地旅行社の張さんに再度依頼。待つこと一時間、同日で時刻をずらして何とか寝台がぎりぎり必要枚数取れるとのこと。速攻で購入をお願いし、また待つこと30分。確保できたとの知らせが入ったときには、ほっと胸をなで下ろし。

「これで今晩はよく眠れますね」と張さん。本当に助かりました、非常感謝!

これで本当によく眠れそうです。

登封の風景

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ちょっとそれらしい画像を選んで白黒にすると、何となく昭和の風景に見えなくもありません。

実際は、特にここ数年の経済発展はめざましく、市内には高層の建築がいくつも建ち、あちこちでマンションの建設が続いています。面積は小さいながらも市内には何でも揃っており、結構便利です。

豫劇(河南の伝統劇)で「登封小県」と唱われた登封も今は昔。94年には県から市制に昇格されました(中国では県より市の方が大きい)。

それでも……少し市街地から外れれば、この通り。変わらない部分は変わりません。そこには我々日本人もちょっと懐かしく感じられるような、昔ながらの登封の風情が今でも見られます。

宋双平武館

当会の中国研修はいつも、通常の旅行やテレビなどのメディアでは見ることの出来ない、民間の知られざる名師ばかりを訪ねています。別にわざとそうしているわけではありませんが、我々の学んでいるものの守備範囲が、あまり表に出てこない傾向のものなので自然とそうなっているというのがその理由です。

しかし表に出ないからと言って、決して亜流とか傍流という訳ではありません。逆に現在メディアで紹介され、一般に認知されている少林寺とその周辺の姿こそが、近代になって新たに造られたものであり、実はその本流・源流は今なお現地において地下水脈の如く、脈々と静かに護り伝えられて来ているのです。

さて、今回訪ねる予定の拳師も、そういった古くからの渋い武術を墨守している一人。その名を宋双平老師と言います。

彼との出会いは王宗仁師父と出会うほんの少し前、「中国の伯父さん」と呼んでいる崔清振老師の紹介が始まりでした。その当時彼は少林寺の近所にあった「毛沢東専用飛行機」の管理小屋に住んでいたのですが、なぜ少林村に「毛沢東専用飛行機」があったのかは今でも謎です。当時は既にこの歴史有る飛行機を見に来る人もおらず、彼は専ら小屋の前の、土の地面に練功用の杭を立て、砂袋を吊しただけの簡単な場所で日々武術の研究をしていました。また彼には行茹という少林寺の還俗僧(出家から在家に戻った僧)の相棒がおり、この二人に教わった通臂拳と縄鏢、いつくかの功法が私の始めて触れた少林武術でした。

宋双平老師の武術の特長は、套路は数が非常に少なく、専ら功法という武術の独特な鍛錬法、そして縄鏢、三節棍、鴛鴦鉞といった奇門兵器(特殊な武器)を徹底して練り込む事にあります。当然、スピーディーな動きと華麗な跳躍などで美観を競う表演套路などには目もくれません。

特に宋老師の石鎖功は「絶技」と言っても過言ではない程の腕前です。何十キロもある「石鎖」という、石で出来た南京錠のような形をした重りを絶妙なコントロールで操る技は、決して力任せの荒技などではなく、試しに自分で遣ってみれば、全身の協調、力の緩急、タイミングや呼吸を動員した、正に武術的全身鍛錬法であることが解ると思います。

今回研修旅行に参加する人は、ぜひ実際にこの石鎖に触れてみて、「功夫」とは如何なるものかを実感して欲しいと思います。

●向かって右から宋双平、私、行茹、学生。皆若いです。
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●左は奥さんの王雅琴。もともと二人は兄妹弟子。
奥さんもなかなかの遣い手です。
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●これは石鎖ではなく鉄鎖。
これが馬鹿みたいに重たいのですが、細身の彼は軽々と操ってしまいます。
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訪中準備

当会では毎年秋頃に、少林寺(登封)を訪れる研修旅行を行っています。

少林拳の発祥地たる少林寺(登封)で源流に身を置いて学ぶ数日間は、何物にも代え難い濃密感があります。今年は10月下旬の9日間、7名の精鋭が参加する事になりました。

そのため5月頃から、国際線チケットの手配に始まり、現地交通機関の把握選定、学習・交流内容の決定と調整などなど、入念な準備を繰り返し、出発まで丁度ひと月を切った今日、大まかな手続きを終了し、明日参加者に簡単な説明会を行うところまでこぎ着けました。

こちとら旅行業者でもツアーコンダクターでもない只の素人。それでも現地とのコネクションやその他諸々の協力の下、予算内で(これが結構大変!)安全(安全は第一です!)かつ充実した、意義ある研修旅行のスケジュールが完成しました。我ながら会心の出来です。

まあ、予定というものは往々にしてその通りには行かないものです。ましてや中国ですから、千変万化の旅になるかも知れません。しかしそれすらも楽しめ、自らの糧と出来るような、そんな研修旅行になるだろうと、密かに期待し胸膨らむ秋分の日の午後でした。

●07年研修旅行の時の一枚
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