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カテゴリー「中国での活動」の検索結果は以下のとおりです。

2013年10月 少林寺・登封研修旅行 その2

●王宗仁師父との練功

登封初日は自分たちで練った以外、毎朝王宗仁師父に伝統少林拳の直接指導を受けました。これが本研修旅行の一番の目的であり重要部分です。

今年は研修参加者3名中2人が学習歴一年に満たない初心者だった事もあり、動作の単練に多くの時間を割いて教えて頂きました。

ひとつの動作でも異なった発力の仕方があり、また発力の違いによって動作の名称も変化する。また一つの動作にも複数の用法がある事を、学生達も身をもって体験する事が出来ました。

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そして何より、師爺の動作を直に見ることが出来たのが、彼らにとって一番の収穫だったと思います。たとえ今は遠く及ばなくても、その先の目標とする地点が明確に示されているという事はとても幸せな事です。

師爺からは動作の他にも少林拳の理論や、日常生活での考え方、武器の手入れの仕方など、広い範囲の内容を教えて頂けました。特に今回の参加者は積極的によく質問をしており、普段私が聞かないようなユニークな内容も飛び出したりして、なかなかに興味深い応答となっていました。

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師爺の丁寧な指導と毎日の継続的な練功により、彼らの動きも3日目朝あたりから明確に変化が出てきました。これぞ「武術生活」の一番の効果です。仕事や雑事に追われる日常では、やろうと思っていてもなかなか出来ない事でもあります。

もちろん、最終的には仕事も含めた各人の「日常生活」の中に溶け込ませる事が目標ですが、訓練の過程ではこうした集中的な練功も必要であり、進歩に大きな助けとなるものであると考えています。

2013年10月 少林寺・登封研修旅行 その1

10月12日から20日までの9日間、少林寺・登封研修旅行に行って来ました。去年は日中関係の悪化からやむなく中止となりましたが、今年は大きな障害もなく実施することが出来ました。

●宴

登封到着一日目の夜、いきなり大きな宴に出くわしました。

ここ数年で急速な普及を遂げた中国版LINEとも言えるアプリ「微信」。これによって連絡を取り合った95年~06年頃までの教練・学生ら30名近くが集まり、大宴会が催されたのでした。

我々が着いたその日が宴の当日だったのも本当に偶然。またこういった「同窓会」が行われたのもこれまでで初めてでした。師父も「まさかこれほどまで人数が集まるとは思わなかった」と驚かれていました。

まずは会場の精武大酒店の玄関前で集合写真。写真を撮る人の「1,2,3」の声に合わせて全員が大音響で「茄子(チエズ)!」。ここいら辺から完全に体育会系のノリです。

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乾杯前の会場、早速あちこちで思い出話に花が咲き、ざわざわと賑わっています。ここで当時の総教練がホイッスルをひと吹き。一瞬の静寂の後に大爆笑。皆この笛の音は心身に染み込んでいるのですね。

宴が始まると、次々に学生達が師父に「敬酒」をしに来ます。「自分は○○年の誰々班にいた学生です」と名乗り、師父に一杯を献じます。

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私も96年からほぼ毎年登封に居たので、今回集まった面子の殆どは顔見知り。沢山乾杯しました。当時少年だった彼らも皆社会人になって、故郷に帰って武館を開いたり、または自分で商売を興したりと進路は様々です。

伝統少林拳と競技武術、お互い学ぶものは違いましたが、同じ場所・同じ時間に苦楽共にした仲間とはやはり魂が通じ合います。十数年ぶりの再会に宴は大いに盛り上がりました。

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皆で毎週水曜に河に洗濯に行った話。誕生日に宿舎でビール瓶二本分を一気飲みした話。学生同士の喧嘩で処分され、立てなくなる程棍で尻をひっぱたかれた話……。話題は永久に尽きません。

途中から私も白酒(56度)の乾杯集中砲火を浴び、最後の方は記憶がすっぽり抜け落ちています。

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これで翌朝6時に起きて(起こされたとも言いますが)練功できたのは奇跡に近いです。お陰で昼過ぎまで酒気が抜けませんでしたが。

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ちなみに翌日の夜も同じ場所で宴会(第二回)がありましたが、さすがに皆一日目ほどのハイテンションではありませんでした(笑)。

2013年10月 少林寺・登封研修旅行

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帰りました。
これから随時整理してアップしていくつもりです。

研修旅行計画

今年も10月に少林寺・登封研修旅行を行います。

航空チケットの選定は済み、現地での移動・宿泊・学習・交流などの計画を今の情況と照らし合わせて練り込んでいきます。

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中国は何に関しても、毎年毎年情況が変化していきます。

去年出来たことが今年は出来なくなっていたり。また逆に去年まで出来なかったことが今年から簡単に出来るようになっていたり。

そういったことを一つ一つ調べ検証して、ベストの行程を汲み上げていくのが今の時期です。

これが大変なのですが、やっているともう実際に現地に行っているような浮き浮きとした感覚になり、結構楽しい作業でもあります。

今年も実り多い旅に出来るよう、抜かりなく準備していきます。

そして参加者の皆さんの任務は練功です。どれだけ事前に積み上げて行ったかによって、現地で得られるものの質が断然違ってきます。

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もちろん私も師父や老師の方々とお会いするのに恥ずかしくないよう、今から気合いを入れて練功しますよ。

北京 2013年3月

報道では近未来の暗黒世界みたいになっていましたが……

ファイル 234-1.jpg▲もちろんこんな青空の日もありました。

▼でもやっぱりこんな日も。
ファイル 234-2.jpgやっぱり両方紹介してこそ公平です。

北京の美味しいモノ達

▼麻辣烫(マーラータン)
まずは自分の好きな食材を選んでお金を払います。大体はひと串1元です(1元=15円)。しばらくすると下の写真の様になって出てきます。胡麻ペーストと辛味の効いたタレが美味しいです。
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▼羊肉串(ヤンローチュアル)
一本1元。塩・唐辛子・クミンをふって焼きます。シンプルなだけに絶妙な塩加減と焼き加減に出会うと「やるな!」と思います。そしてビールは北京の「燕京ビール」。最高に合います。
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▼牛肉拉麺(ニゥロウラーミェン)
回族(イスラム教徒)の作る牛肉ラーメン。牛骨スープがイイ味出してます。小椀6元/大椀7元。ここは小さいお店でしたが、お昼どきは満席、大繁盛でした。
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登封紀行 2013年3月 その3

註:今回もマニアックな話題が続きます(笑)

時系列は前後して登封2日目。登封市区の東に位置する唐庄という場所に陳光栄老師をお訪ねしました。陳老師とは5年前、ほんの短い時間でしたがお会いして、七星拳の套路を見せて頂いた事があります。

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が、今回詳しくお話を伺って、今まで大きな勘違いをしていた事が判明。てっきり陳老師の武術は磨溝村(「その2」参照)で教わったものとばかり思いこんでいたのですが実はそうではなく、陳老師の師父は陳發旺という方で、なんと私の曾お爺さん先生である凌斗の弟子の一人だったのです。つまり我々と同じく凌斗を祖とする、もう一系の流れと出会った事になります。

***

ここで少し解説を入れておきます。
そもそも磨溝という土地は元代の伝説的な少林僧・緊那羅を始祖とする、登封でも有名な「武術村」の一つで、代々古伝の少林武術を護り伝えてきました。

凌斗祖師爺(1872~1954)は磨溝で岳父の范朝元に就いて武術を学び、後に少林寺村と凌斗祖師爺の実家のある凌家門(磨溝から山一つ越えた所にある)に拳を伝えました。

凌斗祖師爺の伝えた拳は基本構成は変わらないものの、磨溝のそれと比べて「大動作はより大きく、小動作はより小さく」練るという特長があります。また随所に小動作が多く含まれ、発力は爆発力が明確で、総じて緊密な印象を受けます。

また磨溝拳の核心套路である小洪拳を「長護心意門拳」と改名して伝えており、これがそのまま凌斗の伝えた門の名称ともなっています。

***

さて、思わぬ所で親戚筋に出会ったという事で、ここぞとばかりに色々なことを質問させて頂きました。

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同じ凌斗の門でも、王頂一を経て伝わったものと、陳發旺を経て伝わったものには、やはり若干の違いがあります。凌斗が弟子の特性に会わせて教え方を変えたとも考えられますし、また教わった側の重視する観点の違いから動作表現が異なっているとも考えられます。

しかし重要なのはその一門の「核心」を貫いているという事。こうして親戚筋の拳を検討する事によって、本来拳(套路)に含まれている変化の広さ・可能性を知ることが出来るわけです。

ファイル 230-3.jpg※表面上の違いはあってもやはり同じ血統を受け継いだ拳です。その実感がまた面白い。
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根ほり葉ほりの面倒な質問にも丁寧に答えてくださり、また貴重な長護心意門拳の全套まで見せて頂き有り難うございました。謝謝、陳老師!!

登封紀行 2013年3月 その2

登封市区から北東に約20Km行った山間に、磨溝という村があります。ここは私から見て曾お爺さん先生にあたる凌斗祖師爺(1872~1954)がいた土地です。凌斗祖師爺はこの磨溝村で岳父(妻の父)の范朝元に武術を学び、後にそれを少林寺村の王頂一師爺ほか、数名の弟子に伝えました。

2006年に師父に連れられて初めてこの村を訪れて以来、祖師爺の足跡を辿り、現地の拳を学びながら様々な調査を繰り返してきました。

そして今回はこれまでの集大成、失伝寸前だった磨溝陸合拳の発掘整理を遂に完了しました!

私が初めて磨溝を訪れた2006年の時点で、当地の武術はかなりの内容が失われていました。原因は伝承者の不在と、これまで伝承を護ってきた拳師達の高齢化です。

ファイル 229-1.jpg※かつて練功房だった祀堂も倒壊して久しい。

幸いな事に核心部分の小洪拳と老洪拳、そして大刀は辛うじてまだ残っていたのですが、二人で行う対打の陸合拳は、第一節から第六節までを完全に打てる人は既にいなくなっていました。

●発掘

発掘は土の中からでなく、人々の記憶から行います。

范福中老拳師を中心に、かつて范老師に就いたことのある40~50代有志が集まり、徹底的に検討を繰り返します。いずれもここ20年近く全く練習していないので、記憶はかなり断片的です。

まずは第一節から第六節までの名称を思い出します。陸合拳は重複する基本構成の上に各一節毎に特徴的な動作があって、それが各節の名称となっています。「第一節:踢一還三」、「第二節:斬子朵子」……という様にして、各節の大まかなディティールを浮かび上がらせます。

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そこからは各々が覚えている動作の断片を「ああでもない、こうでもない」と照合し、実際に何度も打ってみて感覚を思い出していきます。実際に現場にいないと解りづらいかも知れませんが、こういう時、その門派独自の「攻防に対する感性」や「リズム感」が大いに発揮されます。

ただ単に動作を繋ぐだけではいくら綺麗に攻防が成立していても、やはり感性のどこかが「気持ちが悪い」とアラームを鳴らします。

その点、范福中老師のセンスは抜群でした。「第一節はどうでしたっけ?」と問うても「忘れた、思い出せない」と仰っていたのが、我々がどうにかこうにかある程度の形にまでしたものを見て「不中!(ダメだ!)」と一喝。やにわ立ち上がり、いくつかの動作を訂正して、正に「仏像に魂を入れる」が如くでした。

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後半はこのスタイルが確立し、かなりよいペースで復元が進み、ついに「これで完成」という所までこぎ着ける事が出来ました。


実際、この復元に5年近くかかりました。これを見たある人は、「みんな近所なんだから、ぱっと集まってやればすぐ出来るだろう」と思うかも知れませんが、現地での人間関係、時間の制約、そして何よりも「機」。

思い出せと言われて思い出せるなら、どんなに簡単な事でしょう。しかしそうも行かないのが人間の記憶の難しい所でもあり、面白い所でもあります。今回は実に色々なタイミングや環境がうまく合わさって、一気に復元までいく事が出来ました。本当に協力してくれた現地のみんなに感謝です。

「100%原型と同じか」と言われれば、それは誰にも解りません。しかし限りなく100%に近い形に復元できている事は間違い有りません。今後は数年をかけて磨溝の老人達に見せて廻り、老前輩方の感性に問うてみようと思います。

そうした中でまた面白い発展もあるかも知れません。

~「その3」に続きます~

ファイル 229-4.jpg※向かって左から范三(范福中老師の息子さん)、劉振傑、范福中老師、私。

登封紀行 2013年3月 その1

3月19日~24日までの6日間、少林寺のある登封に行って来ました。

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まずは恒例の師父による検査を受けます。検査内容は当門の核心套路である長護心意門拳と七星拳。これだけは外せませんし、この関門をクリアしない限り登封で計画している全ての活動は「おあずけ」です。

幸い一発で合格を貰ったのでほっとしました。

それにしても師父に就いてのたった数日の練功は、日本で行う練功の一年分以上に匹敵するという実感。今回も少林拳の根本原則的な動作である「十字通背」について、重要な指針を頂きました。


そして今回もう一つの練功面で収穫。それは鄭樹基老師より耳巴陸合拳を学べた事です。

耳巴陸合は凌斗祖師爺が伝えた当門の踢打陸合とはまた別の、李根生前輩(1893~1962)が伝えた対打の套路です。踢打陸合が徹底して相手と「合わせる」のを主眼としているのに対し、耳巴陸合は実に「破る」事を主眼とした攻防意義が非常に突出しています。

教えて下さった鄭老師の手も非常に厳しく、改めて少林門の老拳師の、「実」を追求する気概を身を以て体験しました。

ファイル 228-2.jpg※登封を代表する50~60代伝統拳師の揃い踏み。向かって右から鄭樹基老師、張鉄印老師、耿合営老師、王宗仁師父、私。何故かみんな綺麗に並んでいます。

また鄭老師が教えて下さるに当たって「王老師がお前の練習相手をしなければ教えることは出来ない」とのお達しで、何と!師父とこの套路を練ることになり、いつも踢打陸合を練る時とは別の、師父の「攻防」を体験できたのは実に貴重でした(とても痛かったです;)。

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呉風高老師には毎回主に小洪拳・炮拳・太祖長拳などの当門にとっては外門にあたる套路のご指導を頂いています。今回伺っての第一声は「お前、あれは継続してやっているか?」との事で小武功(根節功と呼吸・全身の統一を練る功法のひとつ)をきっちり検査して頂きました。

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実は呉老師は王頂一師爺にも師事された事があります。今回七星拳について前から疑問に思っていた事について伺い、確証を得ることが出来ました。興味のない人にとっては実にどうでもよい事ですが、これで七星拳について、正式に当門の拳師について学んだものなのか・そうでないか、確実に判別できるようになりました。

~「その2」に続きます~

2012年10月 登封

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10月13日から21日まで登封に行って来ました。

本来は毎年この時期、当会の学生を連れていくのが恒例でしたが、今年は日中間にある問題のため、やむなく私一人で訪中する事となりました。

サイトの「活動記録」に写真をアップしたので、お時間のある方は是非ご覧ください。

http://shaolin-net.com/huodong/1210_df.html

2011年 中国(登封)研修旅行 その7

●10月28日 王宗仁師父

いつものように朝5時半起床、6時頃から練功を開始する。空はまだ明るくなりきっていない。学生達は軽くランニングをして、圧腿。それから基本功をやって身体を温める。こちらはその間に自分の拳を2,3本打つ。

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しばらくすると師父が降りてこられる。登封に来てから毎朝、師父の指導を受けてきたが、今日が最終日だ。ひとりずつ、師父の前で拳を打ち、今回学んだ成果の検査を受ける。

今回師父より教えを受けた拳は、基本的に殆どが学習済みの套路である。新しい套路をいくつもやれば彼らにはいい「お土産」にはなるだろうが、それはせず。新内容の学習は本当に必要なもののみに留めた。「むやみに拳を数多く覚えても実力が付かないし、意味がない」というのが師父の変わらぬ考えだ。そういう訳で「いま持っているもののレベルアップ」が今回の実質的なテーマであったと言えよう。

最終試験はと言うと、「皆それぞれ少なからぬ収穫がある」という事で合格。私の目から見ても、ここ数日間での皆の進歩振りは実際目を見張るものだった。

やはり毎日毎日、師父の動きに直に触れ、教えを受けたのは大きい。登封に拳師は数多くいるが、ある者は「教えられるが、打てない」、またある者は「打てるが、教えられない」。伝統少林拳に精通し、かつ実際にこれだけのレベルで打ってみせられる拳師は実際そうそう居るものでなないのだ。

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師父も孫弟子達のために、何度も示範動作を打ってくださり、皆その動作のひとつひとつ、架勢の正確さ、転身の素早さ、発力の強大さをしっかりと脳裏に焼き付けた。また師父は彼ら一人一人に、現在本当に大切と思われる問題を気付かせ、同時に必要なアドバイスを与えてくださり、これは今後の彼らの練功において大いに助けになるだろう。

こうして今回の研修旅行の主たる日程は無事に終了した。「お土産無し」と言ったが、実際はそれぞれ多くのものを持ち帰ることが出来たと思う。あとはその成果をしっかりと保持し、雲散霧消しないように練り込むのみだ。彼らが帰国後、どのように変化していくかが楽しみである。

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